2009年6月25日 (木)

最後のアガキは誰がしてる?…~禁煙ライブ③

正直に結果から書こう。まだ出来てません。そう禁煙。役者急病のアクシデントで始まった伊丹公演を無事に終え、49歳の誕生日もサクサクと過ぎ、本来なら今頃「禁煙して3日目」のはずなのだが……流石に30年の習慣蓄積はなかなか手強いですなぁ…。ああ、もちろん断念はしてませんよ。正確には6月21日(禁煙Xデイ前日)から、ずっとニコチン95%カットの「NO,31」を使い続けている(詳細は①②を参照)。そして、ここが肝心なのだが、今使っている95%カットのパイポで十分満足しているのだ。戻りたくない。もちろんパイポを装着しないで吸うなんて、今では考えも及ばない。つまりこの離煙システムの「1ヶ月で無理なくニコチン依存から遠ざかる」に対しては、実に順調に最後の場所までたどり着いた真面目な生徒なのである。そしてこの「95%カットなモノ」が十分美味いコト。この事実が、逆に最後の一歩を阻んでもいる。今までのプロセスの「成功」が、禁煙と言う最後の現象には「ブレーキ」になっているのだ。僕は今、実に複雑で逆説的な対場に立っているわけである。思えば確かに予感はあった。新しい番号に、つまり前日より3%多くカットされているパイポに、最初の数時間は「物足らなさ」を感じるのだが、午後には全然満足しているコトの連続だった。そして今「最後の31番」が美味いのだ。パイポは洗えば何度でも使用が出来る。ほら「出口」が見つからないでしょ? ニコチンの中毒性から言えば「95%カットで日々が過ごせるなら、既に常習性からは開放されているはず」と言うのだが、いやいや、美味くて吸いたくなる以上、そこには微かながらも薬物的な依存性が残っている気もする。でも…でもね…僕の体質が少しずつ変わってきてるのも確かなコト。そちら側も報告しておこう。当初禁煙設定したXデイを超えて吸っているコトへの、言い訳の一つに「これで終わりと決めて買った煙草が吸いきれてない」ってのがある。もちろん専門家(?)に言わせれば「さっさとゴミ箱に捨てろ」だろうが……まあまあ、もう少し聞いて欲しい。あれはまだ20番台を吸っていた頃、今までの一日の平均喫煙本数と残り日数から計算して「これが最後の煙草購入」とばかりに近くのアピタでカートン買いをしたのだ。「ライターお付けしますね」と言う店員を、余裕の笑みで断り、伊丹の旅公演に持ち込んだ。そして、ちょうど誕生日に終わりのはずが……帰宅後の今もまだ、結構残っているのだ。つまり、知らず知らずのうちに「一日に吸う本数」が激減していたのだ。そもそもが「毎日新しいパイポさえ使うなら、一日何本吸っても良い」というユルユルなルール。吸いたくなったら吸う、の原則を一度も我慢したことはない一ヶ月だった。ゆえに「吸いたくなる」回数自体が減っていることになる。これってちょっと凄くね? 3%減を続けていた時、興味をもった喫煙組の知り合いが「どうせ1日の本数が3%増してるんだろ?」と言っていた。僕もそれはあると思っていたので、コレには素直に驚いた。思うに……①いちいち吸う時にパイポを装着するから「気付いたら火をつけていた」ってコトは無くなる。②さらに、喫煙行為を毎回強く意識(記憶)させられる、わけで、①と②の相乗効果により、本人は「さほど減っていない」と信てたのかもしれない。これらの発言自体を、きっと今までの僕の傍若無人な吸いっぷりを知ってる人は、驚いてくれるだろう。だって「あの僕」が、火をつける前に「今本当に吸いたいかな?」と自問し時々止めてみたり、2~3時間の外出なら煙草を持たずに出かけたり、朝の目覚め後と食後を試しに30分我慢してみたり、などなどを結構楽しんでトライしてるのだ。使用しているパイポは、ニコチンのカットと同時にタールがパイプ内に残る仕掛けもある。パイポを掃除する時、ネチャネチャと指に絡まるこの黒い悪臭の塊を、流石に積極的に肺に入れたいとは思わない。ただまぁ、何にしろ、今後、完全禁煙までには「僅か0,005のニコチンへの依存」か「ただの歴史的習慣依存」かのどちらかに、最後の勝負を挑む時期がやってくる。机上に残された「吸い残し」の煙草は69本。今、全てにナンバーを書いてみた。せっかくの最終段階、貴重な実験記録だからな。いっそ新しいルールでも決めてみようかな…それが結局、ハードルを挙げて、全て水泡と帰すコトになったりして。ははは。…それならそれでもいいか…なんてね。実はそんな自分もまだまだちゃんと居たりしてね。ギリギリまでゼロに近づけていく行為、もしくはそのプロセスを楽しみ、自分を試す喜びと、本当に最後の最後に「きっぱりお別れをする」コトって、きっと全然違うんだろうからな。もしかしたら「この31番パイポ」を今後何年も使い続け、結局肺がんで苦しみながら死んだ劇作家のエピソードが通夜なんかで密やかに語られるかも知れないしね。何にしろ机上に残ったマジックナンバーは取り合えず「69本」。一つの大きな区切りになるだろう。最新の計算式だと28日(日)の夜辺りかな? 遅れても来月に及ぶことはないだろう。

|

2009年6月 9日 (火)

既に半減期を超えて~禁煙ライブ②

本日のパイポのナンバーは「19」。既に57%のニコチンカットである。相変わらず「味」はする。そしてそれが「美味い」。1ヶ月で「離煙」をする行程の3分の2に近づこうとしている。毎朝新しいパイポを試みる時「これで味がしなくなったらどうしよう」と思うのだが、今まで一度もそんなことはない。これは結構不思議だ。一日にたった3%という「微減ぶり」がヒトの感覚を麻痺させているのだろうけど、常用のニコチン0,1ミリの数値は既に半減しているわけで、「今なお美味い」のには逆に不安すら覚えるほどだ。煙草の味については結構うるさい方だと思っていた。銘柄の嗅ぎ別けにも自信あったし、自分の愛飲する銘柄に強い愛情を持っていた。つまり煙草を吸うという行為は、微妙にブレンドされたモノを、とても繊細に味わい、デリケートに嗜好するモノだと思っていた。茶葉やワイン、お香にも似た世界だと。ゆえに「はーい、少しずつ減らしますから味は変わらないですよ~」って単純なことにはならないと踏んでいたわけだ。自分が愛していた行為は何だったのだろう?…的な感覚を覚える。これまたこのシステムの思う壺なのか?……さて、これだけは早めに宣言しておきたいのだが、そもそも「禁煙してみようかな」と僕が発想した動機は「健康のため」では決してない。家族や知人にうるさく言われたからでも、世間がどんどん嫌煙化し吸い辛い世の中になったからでもない。少しも必要に駆られた決意ではなく、タイミング的にも前述のようにこの興味深い離煙システムに出会ったからに過ぎない。つまり動機は極めて薄く、強いて言えば……実験みたいなものかな? もしくは自分研究?……ずっと自分には喫煙が「必要」だと信じてきたし「体質にあっている」と思ってきた。複数のヒトから「医者から酒か煙草かどちらか止めろといわれ迷わず酒を残したよ」と聞かされたが、自分は意外と煙草を選ぶかなとも思っていた。劇作家で一生を棒に振ろうと決めてから「ボロボロになって書いて行くのだ」というイメージでやってきた。そのボロボロの意味合いの中に「自分の健康なんか気にしないぜ」とか「バンカラで破天荒な方が似合ってるよね」も、当然含まれていたわけで、飲みながらでしか書けないし、執筆中にどれだけ煙草が増えようが、それは「必然なこと」にしてきた。自分のスタイルだと信じ、変えるのも怖かった。まあ、でも、そうしながらも「本当はそうじゃなくても書けるかも」とか「ボロボロの意味合いが少し違うんだけどな…」ぐらいには思ってきた。でもね、確かに以下のような記憶があるのだ。飲み続けた焼酎の「おかげ」で眠りコケル一瞬前に素敵な発想が降りてきて、それで台本に一筋の光が差した経験の記憶が。進行に行き詰まり熟考し、ふと(無意識に)煙草に火をつけた「おかげ」で、一息吸った瞬間に霧が吹っ飛ぶアイデアに出会った記憶が。それらが確かにあるのだ。でも、それこそが偶然なのかもしれない。僕は焼酎を浴びなくてもいずれその発想に至り、煙草無しで考えていても同じアイデアに出会っていたかもしれないのだ。て、いうか、煙草を吸わずにモノを考えたことがない気がする。実際はちゃんとあるはずなのに。これこそがただ単に習慣的な依存に過ぎないのではないか? まあ、そんな感じだ。その辺のコトを自分的に見極めたくての人体実験なのである。もちろん「吸っていない自分」への関心も大いにあるし、逆にダメなら(煙草なしの発想に本当に自信が持てなかったら)いつでも戻ろうと思う。まあ、こう書きつつも小心者なので、一応「河童橋の魔女」を書き上げてからスタートしたわけだ。購入してから実施まで2ヶ月タイムラグは、ただ誕生日合わせのメモリアル的な発想だけではなく、自劇団の新作執筆の期間に遂行するのは余りに自信が無かったのだ。ゆえに「いまだに美味い」のは少し困った事態なのだが……またまた長くなったので、続きは次週、いよいよ禁煙ライブ報告の最終段階にて。あ、そうそう、執筆時の飲酒まで止めるわけではありませんので念のため。伊丹での差し入れは今までどうりで、はい……。昨晩は野球を始めて1年半、レギュラーと補欠のボーダーに苦しむ9歳の息子と映画版「ルーキーズ」を観る。隣に座る父親としては、キャッチボールをしてる延長のような、シアワセな2時間半。昼ドラとは違い「セックスって何?」と聞かれる恐れも無い。愚息の感想としては「新庄がTV版よりかっこよかった」「最後の挨拶はいらない奴も2~3人いたな」「どう見ても高校生に見えない奴が一人居る」「ニコタマと試合をする相手チームは、いろんな場面ですんげぇ待たされるよね」などなど。ほとんど同感だよ、オレも。本日より「河童橋の魔女」伊丹公演へ向けて稽古再開。先日、長久手町文化の家で観た「相思双愛」が出色だったのに刺激され、もう一度台本をいじってみる気になってきている。

|

2009年6月 4日 (木)

「Xディ」へ向け吸いまくり…禁煙ライブ①

実に久々な更新になってしまった。月に最低3回を暗黙のルールにしてきたのだが、ついに5月は果たせなかった。気付けば新作「河童橋の魔女」名古屋公演も無事に終わり、今や唯一の趣味である「NBA観戦」の方も一押しのビラップス率いるナゲッツがレイカーズに破れ、結構好きなマジックのハワードがレブロン王子を粉砕して、残すはファイナルのみ。何とかしてオバマ予想の「4:2でレイカーズ」を覆して欲しいものだ。んでと…名古屋公演には実に数多のご来場、ありがとうございました。リクエスト通りに「蕎麦100%焼酎」や「大麦100%」など、とにかく「米および米麹嫌い」を計っていただいた数々の差し入れ焼酎。ホントにブログやってて良かった、と実感しております。芝居の出来に関しては…巷の評価は予想通り「賛否両論」な感じで、これにも満足。苦笑いの常連がいるかと思えば、「俺、本当は今回のが一番好きなんだよね」なんて控えめに告げる奴もいて(控えめに言う辺りがまさに賛否両論のリアリティーですよね)、ホント、不特定多数を相手に表現するのは難しい。や、むしろ通常のレールをあえて外してみた結果としては、醍醐味ともいえるロビー&打ち上げ会場の雰囲気だった。まだまだ今月の伊丹、10月の下北沢と続く公演なのでネタばれ系は書きませんが、何せ「全然閉じてない話」なので、書き手としては最終のステージまでどんどん「進化=新解釈=書き換え」しながら楽しめそう。役者の労苦や世間の評価はさておき、久々に面白い玩具をもらった感じである。その分、舞台美術や空間演出はオーソドックスを貫く方針で、今まで変形でしか使ってなかった伊丹アイホールに、初めてパネルを立て込む方針。頑張れ大道具チームよ。なんせ中2週間だかんね。と、まあ、そんないつも通りの旅公演の狭間の時期なのだが……個人的には少し趣が違っている。なんと今、生まれて初めての「禁煙トライ期間」なのだ。正確に言えば「禁煙に向けて吸いまくっている期間」。1ヶ月のプログラムの中で今日が14日目…だから概ね折り返し地点ともいえる。そもそも昨年末に、古い友人が見かけないパイプを装着して喫煙しており、それ何?と尋ねると「31本のパイプを番号通りに1日1本使い捨てていくと1月後に禁煙してるんだぜ」との話。で、そいつが実際に止めちゃったから興味が沸いた。3月に大手の薬局で購入。先月の22日からいよいよ実行しているわけなのだ。禁煙ガムやパッチに何の関心も起きなかった僕の触手を動かしたのは「プロセスの間は何本吸ってもかまわない。味もそのまま」という売り文句。つまり禁煙へのストレスが極めて少なく「我慢してやめる時代ではありません」(これもパッケージに書いてある)と言うわけだ。理屈は簡単で、このパイプには特殊技術による精密な穴が空けられていて、毎日確実に「今習慣的に吸っている煙草」のニコチン3%を徐々に減らしていく。「NO、1」が3%減、「NO、2」が6%減、「NO、3」で9%減…って感じだ。んで「NO、31」に至ると95%カット(なぜ93%でないのかは不明…)の煙草でカラダが満足し、この頃には知らず知らず「ニコチン的な依存性」からも脱却しているという理論だ。そんなに上手くいくわけないやん…と根っから天の邪鬼な僕は思ったわけだが、その友人の「何故かホントに味が変わらんないんだよね」に惹かれてしまった。31本入りのキットが12600円。これも微妙な価格設定。ま、でも1日一箱半吸うとしたら、1ヶ月の禁煙で元が取れる計算だよね。加えてこのパイプは消耗品的なフィルターは使ってないから、ちゃんと洗えば何度でも使用可。これも面白い。売り手もなかなか根性が座っている、というか開き直っていて、同封の指南書には「NO、31を何ヶ月も使っている人もいます」とか「2度使いの勧め」(強い煙草の常習者向け。NO、31の後に軽い煙草に換えてNO□□から再スタートさせる。この計算表までついている)とかも明記している。とにかく「ハードルの低さ」が売り物なのだ。もし、いわゆる「間接キッス」を厭わなければ、成功後、丸ごと友人に渡してもOKなはずだが、さすがにそれは記されてなかった。売り上げ伸びないモンな…。さてさて、このように、ある種画期的なコンセプトなわけだが、ココまで来れば一番の関心事は「本当に味は変わらないのか???」に絞られる。かなり文が長くなったので詳細は次回に譲るが、取り合えずこの愛煙家の僕が今日現在「NO,14」で吸っている(一日も挫けず続いている)のは事実だ。結論から言うと「味が変わらないとまでは言わないが、十分に美味い」わけである。ちなみに5月22日から始めたこのトライは、順調に行けば僕の誕生日(6月22日)の前日に終了するはずである。ついでに言うと、このXディは「河童橋の魔女」伊丹公演の最終日でもある。

|

2009年5月19日 (火)

国境とアートな魂~中欧旅行記②

帰国して2週間近く経つのに「時差ぼけ」が続いている気がする。違うのかなぁ…。基本的にフリーな仕事だから後を引くのかなぁ…ちゃんとサラリーマンだったりすると、も少し早くサイクルが戻るのか…何だか一日の間で2時間ぐらいを数回眠っている感じ。新作「河童橋の魔女」の名古屋公演も迫り、雑務も溜まってるのにね…午前中はほとんど仕事にならず、軽い頭痛と慢性的な眠気に襲われている。こんなに手強いとは思ってなかったなぁ、時差ぼけが。極度に飛行機が苦手なんで、離着陸にばかり気を取られていたもんな。きっと向こうでの時差は、到着後の異国情緒やニュースや溢れる刺激によって、体調の狂いも麻痺してたんだな。そこで多分、6泊の間にカラダがすっかり慣れたんだろう。これが良くなかったんだな、6日間という長さがさ。そして再び帰国の時差。こちら側の生活は以前と比較がしやすいわけで、ま、当然と言えば当然のツケかもしれない…。んでと、忘れないうちに旅行記の続きなんだけど……実に長い歴史の中で、そのほとんどを他民族からの侵略により彩られてきたハンガリー。多くの音楽家や美術家を囲い、ついでに自分たちまでも城壁で囲い続けて生きてきたウイーン。どの国も経験した「戦争による都市の破壊」から奇跡的に免れ、今なお石畳の道路の上で中世の風景の中で生活が成立しているプラハ。訪問した3国それぞれのくっきりした趣は、町並みを歩くだけで染み入ってくる。日本人のいわゆる「島国根性」って奴との比較が、論理ではなく、空気の実感として体感される。世界遺産の中にちゃんと息づく今の生活。異邦人のこちらは肩の力が抜けざるを得ないような感慨に包まれる。ドナウ川を上流へと向かいながら、国境はハイウエイの小さな青い看板のみ。バスは減速もせずに通過する。昔はちゃんと衛兵に検問所で止められて、全員のパスポートチェックまであったという。ほんの10年ほど前の話だ。まだまだ長い社会主義から開放され、自由を満喫しながら戸惑ってもいる人々を垣間見る。時間がゆっくり流れている。民族の誇りを受け継ぎながら、明るい個人主義は貫きながら…。ブダベストの、いわゆる「ブダ地区」の世界遺産の城の階段で、初老の2人組みが音楽を奏でている。一人がバイオリン、一人がチェロ。見事な技術とアンサンブル。僕より20歳は年上だ。しばし聞きほれているとツアーの行列は遠くなる。どの国でも通用する「ユーロ」の安い紙幣を、彼らの前に置かれたシルクハットに投げ入れて、僕はその場所を後にする。チェロの方が僕に器用にウインクを飛ばす。旋律には少しのブレも残さずに。きっと彼らもアーティストだったのだ。売れたか売れなかったのかは判らないけど。せめて今夜の飲み代の足しになってくれれば良いなぁ。もしかしたら「明日のパン」なのかも知れないけど…。その夜のディナーはブダベスト郊外の、いわゆる「森のレストラン」。ジプシーの血を受け継ぐ楽団がこれまたいろいろショーを披露する居酒屋だ。名曲のソロあり、伝統的な踊りあり、客層にあわせた選曲あり(「荒城の月」のジャズアレンジはなかなかのモノだった。ツアー同行の社長さんは「そこはちょっと違う」と文句言っていたけど(笑))、アドリブのコントあり。いずれもテクニックは一流。なのに生活の為に止む無くやっているだろうその行為に、迷いや暗さは感じさせない。余計に悲しくなってくる。最後にバンドネオン担当の、多分この集団のリーダーが演奏しながらテーブルを回る。いささか興ざめする周囲の面々の中、酔った僕は大目のチップを彼の胸ポケットにこっそり沈める。バンドリーダーもまたこっそりウインクを返す。僕もね、東洋の島国でささやかにアートしてるんだ。演劇なんだけどね。ツアーだからゆっくりは話せないけど、なかなか素敵な集団だったぜ。何も伝わらないのは承知のうえ、僕も慣れないウインクで返す。きっと楽屋に戻ってチップを整理しながら「東洋人はやっぱダメだな。一人の浮かれた酔っ払いを除けばね」なんて喋っているのだろうな。もう2度と会うコトのない彼らのアートに触れ、遠い異国で自主トレをしている我が集団に想いを馳せながら、その夜はブランデー漬けで就寝した。 

|

2009年5月 8日 (金)

時差ぼけ老人のぼやき~中欧旅行記①

生還しました。昨日。いやぁ3種類5項目ほど仕事を持ち込んだのに、やったのは読書半分と帰国後の仕事の整理だけ。ははは、出来ねえって、そんなもの…。最初に大まかな旅の行程を記しておくと……4月30日に名古屋のセントレアを立って(ココすら初めて行きやしたぜ…)まずはノルウエーのヘルシンキ空港に。ココから乗り継ぎでハンガリーはブダベスト。ココで2泊2日の観光をして、オーストリアのウイーンへ。ココで3泊2日の観光をして、チェコのプラハへ移動。プラハは一泊半日の観光で再びヘルシンキを経てセントレアへ戻ってきた。8日間の行程がどうにも計算合わないのは機内に往復合わせて24時間はいたからなんだけど、時差とか面倒くさいからパス。つまり、中欧の(かつては東欧って言ってたよね)代表的な3カ国を(ヘルシンキ空港を入れれば4カ国)を巡る、ある種贅沢な旅でした。最後の方の日程で岐阜交響楽団のウイーン公演観劇(?)ってのがあって、早い話その応援ツアーでありんす。母親がそちらの縁深い方々と同行し、僕は初海外の母親のボディーガードですな。僕だって海外2回目だっつうの。各国の細かい感想は次に譲るとして…最終日の前日、つまり帰国を前日に控えたプラハに向かってるバスの中で、予想外にも僕の体調が悪くなり、昼食が食べれず、市内観光で悪寒を感じお袋と添乗員さんのコートを借りて、ホテルで発熱、夕食もパスして一人ホテルでシック・イン・ベッド。やっと仲良くなりかけたツアーのハイソな方々も、新型インフルエンザのコトを思い出し、同情と警戒の複雑な距離感でいろいろご心配頂いて……僕自身は実はアレルギーが原因だと判っていたので、帰国のセントレアまでに熱さえ下がればと、集中的に常備薬を飲んで見事に翌日には回復。検閲もクリアしての無事生還でした。アレルギーに関してはまたゆっくり「定番談義」で書くつもりだけど、プラハに向かうバスの道中、母親が食べてたアイスクリームのコーンが一番の容疑者。「もういらない」という彼女から残り半分をもらったアレですね。食べた瞬間、軽い予感もあった。そうなんです。僕のアレルゲンの一番の容疑者は「小麦粉」なのだ。それも多分「とある特定の小麦粉」なのだが、それが特定できていない(多分、今後も出来ない)のが問題といえば問題。もちろん出国前の激務と、ウィーンで頑張って単独行動しすぎた過労が副因になっているのだけどね。にしても、やはり日本は騒ぎすぎだと思いますよ。ヘルシンキでも、ブダべストでも、プラハでも、マスクしてる人なんて誰も居ないもんね。ちゃんとメキシコや米国からの便も発着してるのに。んで、セントレアに着いたらマスク人間の山。過敏じゃないのかなぁ…。ツアーの人たちも流石に欧州着いてからは恥ずかしさも伴って皆マスクは外してたもんなぁ。まあ、行ったエリアも良かったんだろうけど…。自己責任の範囲が明確で、他者との距離の「とある一線」までは実にジェントルマンで、実に「明るい個人主義」な人たちでしたね、アチラの人々は。もし20年、いやさ15年早く旅をしてたら、今頃向こうで永住権でも得てたかも知れない……そんな事を思わせてくれる旅でした。ま、その辺は次回からの旅行記の中でも。軽い時差ぼけの中で歯医者に行って、今夜は自主トレを任せてきた劇団の初めての通し稽古。楽しみなような怖いような。息子への土産はアート系で勝負。結構気に入ってくれたけど、宿題を逃げるグッズとして早速活用している様は、なかなか大したもんだ。

|

2009年4月29日 (水)

自分を褒めてあげたい…ってか?

いやぁ、書きあがりましたよ。新作「河童橋の魔女」の第一稿が。昨日の午前11時少し前。思えばこのブログの始まりが昨年の11月で、その頃は前作の「死立探偵」はとっくに書き上げていたから、こんなライブ報告は今回初めてってコトね。なんと初演地の名古屋公演の丸1ヶ月前。制作さんに言わせると「こんな事、少なくともココ10年では記憶にありません!」だそうな…。役者からは「なんだ、やれば出来るじゃないですかぁ」。いやいや、そういうものではないのだよ。そんな世間並みの常套句で祝ってくれるなよな。これでも「今回こそは」っていう新しいトライアルもあるんだよ。きっと気付かないとは思うけどさ…。ま、でもさ、気分が良いのには違いないわけで「また一つ、こんな子を産んでしまいましたのでよろしく」って感じ。完成が午前中だと、正午を挟んでまずは「自分だけの祝宴」が始まってしまう。アテは色々考えたが今回は「日清ヤキソバ」のスペシャルヴァージョンに決定。思えば長く執筆した後って、不思議と「昔懐かしき粗食」で決めたくなるのはなぜだろう? 今回は昨日の残りのゴーヤチャンプルを再アレンジしてのトッピング。粉末ソースは半分ぐらいづつに分けて、入れ時にひと工夫。半熟の「黄身崩し系目玉焼き」を同時に作って、最後はハーブソルトで調整。これをヤキソバの上に乗せて、冷えたビールと一緒に胃に注ぎ込む。ああ、至福の時間…。ちなみに「河童橋の魔女」はかなりの舞台抽象論に頼っていて、僕にしては「物語性」や「辻褄あわせ」にあえて背を向けてみたつもりなのだが…稽古場での初見読みを聞いてる限りではまだまだ勝負所は現場に委ねられている感じ…。書き下ろした劇団員への「アテ」も含めて、大胆な演出解釈が不可欠になるだろう。自分で書いたものとは言え、そこは再解釈から始めないと痛い目に合わされる。何せ奴は飲みながら書いてるし、時折「神が降りた」とか言いながら(そう言う時に限って)理不尽な展開を「何かアート的なもの」で誤魔化そうとするからだ。ま、でも1週間に1800mlの焼酎を飲みきりながら書き上げた新作は、やはり少しだけ愛おしい。「生と死の間にホテルを建てよう」と思って約4ヶ月。いろいろあったからなぁ…。稽古後に劇団員が簡単に初稿アップ祝いの場を設けてくれて、僕以外は「アルコールOFF」のビールで乾杯。「半年間これで遊ぼうぜ」って感じで。てな事を書きながら…明後日から8日間、ちょっとヨーロッパに行ってきます。ま、正直、オフクロ孝行の一環ではあるんだけど…。ま、でも「豚インフルエンザ的」には最悪の時期で、渡航中に感染が拡大し、帰りのセントレアでは何日拘留されるか判らないよぉ…もし何かの弾みで、渡航中に「帰らぬ人」となったら、この新作はまさに「遺稿」としてはなかなか行けるんじゃないだろうか? まさに「人は誰しも土に帰る」コトだけしか、我々に自由は無いのかもしれないしね。って言いながら、飛行機堕ちたら土には還れないなぁ…ま、海への散骨も、結構な費用の元、結構な流行りようらしいから、手間無くてよいか…。帰宅は5月の7日予定。GWを丸ごと海外に逃げる…なんて多分今後も無いだろうから、自主トレを信じて旅立ちます。飛行機怖いよう。特に着陸が。マスクは嫌だよう。煙草吸えるのかな?

|

2009年4月13日 (月)

空間との決別…もしくは善意への憧れ。

先日、ドライブ中の愚息(九歳)が申すには「そういえば父ちゃん…」「ん?何?」「おばあちゃん家と稽古場の間のサークルKがやられたよ」「え? やられたって?」「つぶれてたよ」「ウソっ?」…少し回り道をして確認すると、確かに看板が下ろされシャッターが閉じている。 そっかぁ…結構お世話になってたよなぁ…時代の流れに「やられた」かぁ…。経営者のご夫婦とは結構話してた店だったのになぁ…。台本のコピーにもよく使っていたなぁ。原本を機械の中に忘れていって、それを丁寧にビニールに入れて次までキープしてくれていた。次に僕が立ち寄った時、わざわざ声かけてくれて、その時から会話が始まったんだよなぁ。向こうは何となく台本っぽいものを書いてる人種だと知っているのに、それには触れず、こちらも照れるからその辺は遠ざかりながらも、結構良い距離感で話してたのになぁ。松任谷由美の「リフレインが叫んでる」ではないけれど、どうしてもっとちゃんと近寄っておかなかったんだろう? 2度と会えなくなるなら…。そういえば、先日、ランチタイム終了間際に(つまりシエスタ前最後の客で)財布を忘れた店があって、3時間ぐらい経った後で、全く別の雑貨店で物色していた僕に、これまたたまたまそこに来ていた先の店のマスターの女性が僕を見つけて「もしかしてお客さん、さっき私の店で財布を落とされませんでした?」と声を掛けてくれたことがあった。「ちょっと待ってて」と言って、店まで戻り僕に財布を渡してくれた。おかげで警察に出向く手間もなく、僕はその偶然と彼女の「基本的な善意」に感謝した。もっと以前にはこんな事もあった。今池で飲むために、車を駐車場に入れた際に(もっと飲酒がうるさくなかった頃の話ね。あ、でも広めないでね一応…)携帯電話を落とした僕。小粋なジャズの店で(そういえばココもつぶれたな…)飲んでると、一緒に飲んでた友人に電話がかかり「イラン人の人がアンタの携帯を拾ったって言ってるんだけど…」と言う。確かに待ち合わせの確認で、僕はその人の携帯に落とす直前に電話をしてて、着信履歴が残っていても不思議はない。「彼」はミスドの前で待っているから来いという。僕は意を決して、財布の中にある程度の「お礼の金」があることを確認してミスドに向かった。ラッパー風で、僕よりかなり背が高い彼は、僕の携帯をヒラヒラさせながら待っていた。何より彼の黒光りする顔は、深夜の今池に、少なくとも僕より似合っていた…。僕が携帯を受け取ろうと手を伸ばすと、彼はすっとその携帯を取り上げ「ちょっと待て」と言う。そして何やら僕の携帯を器用に操作しはじめる。僕はその時点で、かなりの金を請求されるのを覚悟し、最悪もっと酷いことに巻き込まれる自分を想像したのだが……次の瞬間、彼は僕に発信の履歴を見せてこういった。「これ、多分アンタの友人。オレこの携帯拾って、まずこの人に掛けた……」つまり自分が勝手に僕の携帯を使ったことへの謝罪と理由を説明しだしたのだ。あっけに取られながらも、その真意に気付き、「本当に助かった。君に何かお礼がしたい。良ければ僕の友人と一緒に飲まないか? 奢らせて欲しい」というと、彼は「オー、ブラザー。気持ちだけで十分よ。困った時はお互い様。オレも今彼女を待たせている」と言って、後ろ手に長い腕をヒラヒラさせながら、深夜の今池に消えていった……。僕は自分のつまらない先入観を心底恥じると同時に、いつか彼の事を芝居にしようと心に風景を刻んだ。……街角には多くの悪意が溢れているけど、時々宝石のような「善意」も息づいている。そしてそれらに、2度と生きてる間には再会しない。僕達はそういう風に時間を消費し、生きている。……話がいやに飛躍したけど、つまり劇場がなくなったり、通いなれた場所(そういえば明日の14日、名駅近くの大好きだった店が閉じるらしい…僕は稽古で生憎行けないけど…)が終わりになると、僕はショックが結構後を引く。ある意味、空間に意味合いを求めすぎる劇作家の、ささいな職業病かも知れないけどね…。

|

2009年4月 3日 (金)

土地に柵するバカよりは…

鳥取砂丘に落書きすると大変な罪になるらしい。ニュースでは確かに大きな文字を映し出していたが、昔からあったぞ、あの手のも。よほど放送禁止用語やマークが書かれているならまだしも(もちろんこれは放送できないわけだが…)どうせその内には、砂塵の中に消えていく類のモノじゃないのだろうか? 大自然の営みの大きさの前に、むしろヒトができる小さな可愛い抵抗のようなモンだと思っていた。て、いうjか…砂浜に文字を書きたくなる衝動って、てっきりヒトがヒトであることを確認するような「不可欠なイタズラ心」ってやつだと思っていた。ま、観光地の事情とかを判らず書いてるんだけどね。で、そのニュースを見ていて、ふと思い出したことがある。それは子供の頃に広場でやった地面に線を書く遊びだった。仮に(多分そう呼んでいたのだけど…)「陣地取り」としておこう。地面に四角い大きなエリアを書いて(木の枝とかクギとかでね)コーナーから2人ももしくは4人で自分の陣地を増やしていく遊びだ。親指を中心にコンパスのように最初の陣地を作ったら、順番に小さな小石をおはじきのようにして3回飛ばし(もちろん最初の三角形からはみ出したり相手のエリアに入ったらその次点で攻撃権は消滅です)、上手く自分のエリアに戻ったら、その三角形が自分の陣地になっていく。上手く3回で戻れたら、さらにボーナスとして先ほどの掌コンパス分を何処に追加しても構わない。上手く最初の四角形の端に繋がれば、その手前のエリア全部が自分のモノになるのだ。最初は結構チマチマした戦いになるが、自分の陣地が大きくなれば3回でおはじきが戻れる確率も高くなり、勝負は一気に加速していく。明らかに50%以上をとった次点でゲームセット。どうだろう? やった経験のある人はいないだろうか? 全国的な遊びなのだろうか? それとも地元だけ? で、なんでこんなことを書いてるかと言うと、僕はその遊びがどうしても死ぬまでにもう一度したいのだ。理由はノスタルジーだけでもない。子供の頃の僕はこの遊びを知って、凄く興味が沸いたのだが、どういう理由か2~3回友だちと遊んだ後、なぜかコレが出来なくなったのだ。やる相手が居なくなったのか、何らかの理由で(思い当たらないけど…)禁止でもされたのか、その辺の記憶は曖昧なのだけど、一番やりたい時期にそれをしなくなったので、ぜひもう一度それを遊んでみたいのだ。先日、行政のヒトにそんな事を喋ってたら、その人が「それはぜひやってみましょうよ」と言う。「え、これから?」という僕に「思い立ったが吉日ですよ。だってずーっとやりたかったんでしょ?」と言う。あれは嬉しかった。結局、適当な場所が見つからなかったのと、そこまで時間がお互い無かったのと、何より、彼のスーツ姿では無理なのもあって、丁重にお断りしたが、実はかなりワクワクした。愚息を誘うのは多分1~2年早いので、ぜひこれは何とか誰かをそそのかして、年内には経験してみたいと思う。ま、だいたいこういうネタで長くブログを書き込む時は、台本の筆が進まない時と相場が決まっているので、何とか書き上げてからの事になると思うのだが…。できれば何かの条例とかで「地面に文字を書くなどの大地を傷つける行為はこれを罰する」が現れないうちにね。

|

2009年4月 1日 (水)

年度末の善き日に…

まさに年度末最終日の昨日、劇団内結婚のもろもろが終わった。思えば劇団のスキルの総決算ともいえるイベントなワケで、さすがにこの日だけは「早く戯曲を」という声は聞かなかったなぁ…。ま、劇団員も演者に受付に司会にスタッフにと大わらわだったから、そんな暇が無かったのかも知れんけど。遠方から掛けつけてくれた小堀さん、高澤さん、はしぐち君なんかも最後の3次会まで付き合ってくれて。披露宴の前のチャペルウエディングの時、アチラの神父さんの日本語が結構タドタドしくて、よく聞き取れなかったな。いろいろ式には呼ばれているけど一人ぐらい「オー、アナタは新婦さん。そして私も神父さん!」ぐらいのギャグを飛ばす太っ腹は居ないのだろうか? いないか…。披露宴のテーブル担当のイケメン君の滑舌がなんとも酷くて、何度か突っ込みを入れたが笑顔だけは完璧で…思わず帰り際に慰めてしまった。音響オペの彼女は実に優秀。ぜひ劇団のスタッフに誘いたかったけど、機を逃した。さて、やっと怒涛の1~3月期のマジックが全て消えうせ、いよいよ新作に挑ばねばなるまい。「河童橋の魔女」。実は披露宴の選曲を試行錯誤していた1週間前、ふと気まぐれな「演劇の神様」が30分だけ降りてきて(つまりはかなり飲んでたわけだけど…)物語のエッセンスがすべて羅列されたのだ。僕は今までの経験上、これは逃すまじと思い、メモをした。今回は出演するキャストの数にまで対応した啓示だった。これに従って、後は会話に仕上げていけば戯曲なんてすぐに出来てしまうのだ。よっしゃ! ぼちぼち書いたろか? このブログをアップして、カメの水を替えて、来週の生活予定を整理して、机の上とワキを整理整頓して、春休み中の愚息と公園で遊んで、そして何より、神様が降りてきた時の大事なメモ、数日前からどうにも見当たらないあの貴重なメモを、ナウシカのフカイのような我が書斎から見つけ出したら書き出すぞ! 思えばこのブログもだんだんペースが落ちてきた。3月なんか3回しか更新してないではないか! いかんいかん!……と言うわけで、やっぱ二日酔いの乗りで(乗るなよ…)書く文章はダメだな。僕はこのブログを読んでいてくれる全ての人たちを公平に愛しています! ま、エイプリル・フールだし! ……少し寝ます。

|

2009年3月22日 (日)

選択肢を減らすシンプルライフ

またまた不眠の趣味が高じている。かれこれ46時間寝ていないのに、全然眠くならない。だったら戯曲を書かんか、戯曲を。…いやいや判っているんですよ。戯曲を書き出せばきっと眠気がやってくることもね。ま、でも、趣味だからさ…。昼間は久々に息子と近くの公園で5時間ほど遊びまくった。フリスビーとバドミントンがメイン。カラダは疲れてるはずなんだけどね。気付けば頭の前部右側がどんより痛い。このせいかな? 眠れないのは? 実は遊びの後半でアスレチック遊具から足を滑らせ大胆に転んだが、あの時頭部も打っていたのかしら? さすがに48歳の年を痛感したけど、いやいや、ただの焼酎の飲みすぎかも知れんしなぁ。焼酎といえば、ブログ効果とはよく言ったもんで、先週の金曜が日ナレの最後の講義(生徒にとっては年間最後の授業)で、別れ際に女子4人で焼酎をくれた。講師やり始めて初めてのこと。ちゃっかりコレを見てるらしく、「蕎麦100%がなかなか無くて」とのコメント付き。「夢想仙楽」という福岡の焼酎で、もちろん麦100%。なによりアルコール度数が40度ときたもんだ。コレが早く飲みたくて、今の紙パックもののピッチが上がっているわけね。別に悩みを抱えてたり傷心してるわけではないので変な詮索はしないように。さて、「定番談義の」続きを少し。衣類全般をモノトーンに決めてから、何が楽になったかと言うと、服装を選ぶ時の時間的な優位性ね。衣装コーナー(アウトレットかリサイクルのコーナーをイメージしてくださいね)に向かいながら、既に脳内のチョイス機能は「黒」で決められているわけですよ。これで選択の幅(=時間)が10分の1に狭まります。大手の古着屋なんかだと、大まかに色目で分類してくれてるからなおよろしい。靴だって「定番」を黒のハーフブーツ(夏でも…)に決めてるから、他のものには眼がいかない。僅か2分で何も買わずに店を出ることが出来るわけ。「安物買い」も大切な趣味の一つなので、この時間的な手間の省かれ方は、やはり僕の「定番」になっているのだ。まだまだ「定番」に関しては書きたいのだが、明日は(今日だけど…)大阪に故中島さん絡みの芝居を観に行き、京都の友人宅で時間を気にせず飲酒泊の予定。芝居で眠るわけにも行かないので、頭痛薬でもさっさと飲んで(副作用に期待して…)、眠るようにいたしましょう。お休みなさい。良い夢を。

|

«開花前線に追い立てられて…