2010年1月 6日 (水)

スズナリでお逢いしましょう

またも走り書きである。朝の7時台の新幹線に乗るためには、おいそれと眠ってはいられない。まだ荷造りもすんでないが、性懲りもなく走り書いている。いよいよ桃園会「ぐり、ぐりっと」の最終公演・スズナリの小屋入りである。どちら様もお見逃しないように。僕は若干の新しい演出的な試みを懐に携えながら、それより大量のほかの仕事をこっそり鞄に詰め込みながらの旅公演。済んだ仕事の事務処理や、タレント学校の成績表や、次の発表会のキャスティングや、遅れている依頼台本の構想&書き出し、年度末への予算書などなど。さすがに今回は、本番までの空き時間を気軽に下北散策なんぞしてはいられそうもない。思えばこの正月も慌しかったなぁ。なかなか心底「休み」を実感できなかった。ココ何ヶ月もそんな感じで日々がただただ過ぎ去ってる気がする。強いて言えば、愚息と冬休みのロードショーを観に行った(仮面ライダーWの吉川晃司は楽しかった。まさか変身までしてくれようとはね♥…)のと、丸2時間雪合戦をした事ぐらいかな? まあ、それらも、疲労を伴っての事だしね…。ああ、いつか、夢見るように眠りたい。目覚めなければそれでも良いや、と思えるような眠り。…そうか。もしかしたら、演出仕事だとそれが上手く区切れないのかもね。書いてないからな最近。芝居を一本書き上げた夜(別に朝でもいいんだけど…)の、あの「もう何があろうが誰が文句を言おうが、自然に目覚めるまで眠ってやるぜ」って開放感が、思えばこの半年得られてない気がする。でも、だからと言って、完全な眠りを求めるために、あの長くて孤独な作業に向かえるかと言えば、それも違う気がする…。因果なモンだな。芝居も劇作も。ならばいっそ……あ、しまった、出張前にカメの水槽を掃除して片しておくよう家人から言われていたんだっけ……そうそう、とうとう2匹目の「ミドちゃん」も先日他界してしまったのだ。正月早々、近くの河原にお墓を作るため、愚息とスコップ持って出かけたなぁ…。さすがにその時は神妙に手を合わせていたけど、帰り道は替え歌合戦ではしゃいでいた。強いよね、子供の精神は。そういう風に出来ているんだもんね。てなわけで、ブログ更新ももちろん、しばしPCメールも見られません。お急ぎの方は携帯の方へ。さぁ、荷造り荷造り、あ、いや、水槽が先か…。

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2010年1月 1日 (金)

一年の計は……完徹ですか?

新年明けましておめでとうございます。昨年末、友人からもらった「電子煙草」をふかしながら書いてます。何だか久々に雪降る大晦日でしたね。思ったとおり捗らない部屋掃除を尻目に昨日は雪の中を母親宅に家族3人で向かい(岐阜で半世紀近くも生きていると2~30センチの雪じゃあ車を控えようとは思わないのさ)、まだまだ両手の不自由な輝子さんと食事&年越し蕎麦。久々に紅白をゆったり見ましたね。そろそろ限界ではないかしら、中居、仲間の両司会も。特にボキャブラリーがさ。絢香には泣けたな。しっかり歌って明るくて。木村カエラの底力とSMAPの歌の下手さを確信し、小林幸子には素直に爆笑した。前にCMであったよね。お姉ちゃんがいたとかいう設定で。阿部ちゃんが仲間の応援に駆けつけたりも含め、変われば変わるもんだよねNHKも。大物シークレットゲスト? 読めてたでしょ? 他の2、3の候補はちゃんと裏でスケジュール入っていたしさ。にしても、あの持ち歌で歌詞間違えちゃいかんよね。客の乗りの悪さに醒めてたのかなぁ? でも一番の収穫はタカのボケだったね。レミオロメンの応援の場面で「こな~~きジ~ジイ!」は歴史的ですね。やっぱアイツは天才だな。見ている人の大多数が別の意味でサビを待っていたし、それがこれまたあのヴォーカルに歌詞を間違えさせたに違いない。その後、朝までのお笑いライブで同じネタを披露してたけど、あれは「歌詞まで間違えさせた功績」を話したかっただけだよね。ま、でも、あれで北島三郎がトリの白組が勝つのが不思議だよね。吉田美和の会場への掛け合いのアート性の高さ、アレを聞いてなお「祭りだ祭りだ」じゃないだろう?…って感じだったのにね。などといいながら、あれ?結構紅白を満喫してるじゃん? 実は29日の劇団忘年会の際に前歯が2本ポッキリ折れて唇の裏側がヒリヒリ痛むのだが(折れた歯自体は痛みも出血もない。これまた怖いけど、唇は欠けた歯の部分が擦れるのね…)今年はついに6月で50歳を迎えるわけで、さすがにいろいろ年貢を納めていかねばならない年になりそうな予感がひしひしとしている。や、ひたひたって感じですね。死神の足音かもしれないけど。もし何かの拍子に自分の死期を知ってしまったら、僕はどうするだろう? なるべく苦痛から遠ざかりながら住居のいろんな場所に手紙を潜ませるだろうか? ギリギリまでキーボードに向かってきっとそれでも書き足らない言葉を打ち込み続けるのだろうか? 僕がそのどちらのタイプなのかを知るだけのためにも(知る権利があると思うのだ…)どうか僕の家人や知人や友人や、そして死神たちよ、僕の耳元でささやいてね。きっと最高級の敬意と感謝を捧げるからさ。正月早々、縁起でもないけど、まんざら演技でもなかったりして。やっぱ元日から完徹とかするもんじゃないっすね、ホント。

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2009年12月25日 (金)

せや、聖夜の所為や。

今日こそ早く寝ようと思っていたが、どうにも変な風に目が覚めてしまった。2日後に迫った岐阜市戯曲塾の発表会のため、連日の稽古。今も眠らないならさっさと選曲でもしなくちゃいけないのだが、なぜかそんな気にならない。昨日は朝のうちに歯医者を済ませ、昼からはうりんこさんのクリスマス子供劇を拝見し、岐阜市文化センターでの夜稽古に戻ったが、帰りの渋滞は凄かったな。長久手の方もキャストを固めなくちゃいけないし、手付かずの書きモノもどんどん溜まっている。そして今夜は眠り落ちる前に、どうしてもしておきゃならないことがある。そう、玄関の外に「サンタのプレゼント」をこっそり吊るしておく仕事だ。もしかしたら今年が最後かもしれないしね。流石に9歳の愚息はサンタの存在に半信半疑。「12月にはお父さんサンタが増えるからスーパーは混むんだよね?」と微妙な謎かけをしてくる輩だ。ならばいっそと、今年はある意味、決定打を用意した。電動の鉛筆削りだ。どうだ。参ったか。自分の経験から言って、最もクリスマスに欲しくない「教育的なグッズ」であるだけでなく、つい最近、彼の鉛筆削りが壊れた事実も後押しする。もちろん「さすがサンタだよね。お前の鉛筆削りが壊れたコトまでお見通しだよ」とフォローは入れるが、彼の「サンタはいない」を助長する事は間違いないだろう。加えてその壊れた鉛筆削りは数年前にやはりサンタがプレゼントしたモノなのだ…。今から袋を開けたときの彼の反応が楽しみだ。聞くところによると「サンタは特殊能力で家の中にも入れる」という家庭も多いらしいが、ウチは昔からある種のリアリティーを持たせるためもあって、煙突のない昨今、鍵の掛かった玄関は「サンタすら入れない」ことになっている。だから悪意に満ちた新聞配達がプレゼントを持ち去らないこと願いつつ、サンタのプレゼントは深夜のうちにロックの掛かった玄関外に吊るされてきた。この労苦も今年が最後かと思うと、いささか感慨もあるってもんだ。報告は必ず次回のブログで………。そうそう報告といえば…後先になりましたが、伊丹・アイホールでの桃園会にお越しくださった方々、ありがとうございました。短編三本、無事に4ステージ終わりました。「2本目がはせさん演出ですよね。良かったですよ。キタモトさん担当の前後2作品も凄かったけど」と感想を語ってくれた数名の方々。ありがとうございました。でも、でもね。1作目の新作も僕の演出ですからね!!。ま、オープニングが遊劇体のパンダさんとはしけん君から始まるから、そうイメージされるのも仕方ないかも知れないけどね。ちゃんとパンフに書いてあるだろうが…。などと愚痴りながら、新年早々のスズナリ公演もよろしく。あ、思えば少しネタばれだったかな……。にしても巷にクリスマスソングが溢れているのに、なぜか今年は昼過ぎから懐かしの甲斐バンドの「男と女のいる舗道」ばかりが頭の中でリフレインしている。なぜだ?

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2009年12月15日 (火)

しわすでごわす…

完全なボヤキです。先月末に母親の輝子さんが両手を骨折する怪我をして、83歳にして初めてのギブス生活。病室が満杯で今ウチで看病してるのだが、僕はといえば、桃園会の稽古で大阪に2日間、4日間、1週間と不定期に出張をしていて、その間に2つの戯曲塾の発表会作品の苦難の選抜をして、ウチ一つは年内に発表会。その稽古もあって、岐阜に居てもほとんど家では落ち着けない。家人や愚息のストレスも溜まる中、選抜に落ちた塾生のグチも聞きながら、師走の隙間風が吹く僕の部屋には、大掃除とは逆行して残った仕事が溜まっていく……。久々なのに短信ですいません。今夜から土曜日までは大阪に篭ります。各分野の不義理をしている方々、誠に申し訳ない。週末の伊丹・アイホールをよろしく。金、土、日の4ステージ。深津氏の戯曲世界に何とか追いつく算段はあるのだが…なかなか見ごたえある歴史的なバトルです。ぜひ客席で目撃して下さいませ。例によって当分PCへの連絡は見れません。お急ぎの方は、ぜひ携帯の方へご一報を。

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2009年11月30日 (月)

きっと彼女は笑ってる。

月の、最後の日なってしまった。やっと彼女に関して少し書ける気がしてきた。かつて一緒に芝居を作った吉田泰子さんが、遠くに旅立ってしまった。またもや憎むべき悪玉細胞の仕業らしい。体調悪いとは聞いていたがここまで進行が早いとは…。岐阜市の小ぶりな葬儀場は集まった演劇人で満員御礼。通夜の席上、お父さんの挨拶は実に素直で「これほど多くのヒトに慕われていた娘に驚くと同時に改めて娘を尊敬する」との言葉。泣けたねぇ。彼女には2000年のうちの芝居「サワ氏の仕業Ⅲ」(回文じゃん…後に「螺旋の悪意」と改題…)に客演として参加してもらい、東京、大阪公演にも同行してもらった。明るい表現の引き出しをいくつも持ち、何よりあれほどの透明感と存在感が共存する女優さんには、なかなかお目にかかれない。バリバリのアクションや立ち回りも軽々とこなす彼女の胸に、既に心臓のペースメーカーが埋まっている事を知ったのも、随分昔の話だ。「そりゃはせさん、命がけですよ。役者も恋も」…なんてね。アルコールの器を片手に、からからと笑っていたよね。旅公演の合宿所でさ。とっくの昔に「吹っ切った」ようなカラリとした表現。うじうじしないでドーンと勝負して、スコーンと落ち込んで、しこたま飲んで、翌日ケロっとしていたよね。きっと吉田泰子の魅力でもって死神さんすら取り込んで、一緒に飲んで誤魔化してさ、結構長生きすると思っていたんだけどね…。だって、心底もう一回やる気だったんだから。今だから言うけどさ、あのユニットの件だって、てっきりお前さんがやると思っててさ、出来ないって知ってからもアンタにアテガキした部分もあったんだからね。それを客で観た後で、「やりたかったなぁ」なんて、サラリと言ってくれちゃってさ。悔しいから「じゃあ絶対、も一回やるからね。ひーひー言うような、すんごい役柄書くからね」と約していた。それすらもすんげえ昔かぁ…。祭壇に飾られた遺影がまた、たまんない笑顔の、しかもウエディングっぽい服装。アレを選んだんだよね、ご家族は…。お棺の中のお顔も拝見したよ。穏やかだったけど、ほんの少し悔しそうにも見えてしまった。違うよね。悔しそうに見えるのは、残されたこっちが悔しいからだよね…。悪いけど、泰子さぁ。ホント悪いけど…その内に君で一本書かせてもらうぜ。アンタへの未練を底力にさ。もし供養なんてモノがあるとしたら、それしか出来ないからね。因果な商売なんですよ…もちろん四十九日は待ちますけどね。いや、これまた違うか…四十九日を待たなくてもね、きっと彼女は……

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2009年11月18日 (水)

天高く、我はノートを持ち上げて…

先日、故知の疲れている女性を勇気付けようとして、「…ずっとファンだったしさ…」と言おうとして、その「ファン」を間違えて(というか、どうにも言葉が出なくて)「タイプ」と言ってしまった。「…ずっとタイプだったしさ…」。長い間があって、こちらを見た彼女の目には明らかに警戒の色で「タイプ?」…。何だか急に、それまでの空気が陳腐で下世話なものになってしまった。皆さん、言葉選びには気をつけましょう。さて、ココからが本題……。僕の仕事部屋がアパートのメゾネットタイプの下の階にあることは、どこかで書いたと思うのだが、NTTを含めいろんな回線の大本の本体は上の階にあるわけですね。んで、僕のノートパソコンには無線LANの端末がUSBに刺さっていて、そこから2階へ一旦無線で送っているわけ(どうにも説明が素人臭いなぁ…)。んで、少し前まで快適なネット環境だったのだが、どうも秋になってから送受信に時間が掛かったり、途中で切れたりしてたのね。んで、この無線の部分の環境が、もしや悪化したのかな?…って思った素人の私は、ある日、メールの受信中にノートを2階に向けて持ち上げてみましたとさ。「とさ」って何? そしたらあ~ら不思議不思議。残り数十だったメールが心太のようにスルスルスルと……素人考えが的に当たった時の「その後対処」も、実に素人的でございまして、以来僕は、メールの送受信やネット立ち上げの際には、必ず「天高くノートを差し上げる」という、実に原始的な行為を続けざるを得ないのです。我ながら結構笑えます。これこそが最近の私の「ネット環境」なのであります。先週、4日間の大阪演出修行から帰ってきたら、届いてたメールが864通だった。読む必要があったのが9通だけ。本日からまた出張。今度は1週間の大阪滞在です。急用やメールはぜひ携帯の方に。戻るのは25日。文化庁の来年度の申請は締め切りを過ぎている。列車の中で新作のタイトルが決まるはず。いわゆる綱渡りな段取りですね。きっと帰宅後のメール受信は2000を超えて、その間僕は長くノートパソコンを肩に担いで居る事でしょう。やれやれ。

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2009年11月10日 (火)

かなり久々「本気の神頼み」

割と好きなタイプだからさ、カオスとか偶発とか運命論とかが。寺社仏閣巡りは嫌いじゃないけど、本気で「お願い」するって滅多に無いんですよ。だけど先週の金曜日だけはチラリ頼みましたね、都合が良いのは承知で「演劇の神様」みたいな存在に。何となく西の方角、鈴鹿山脈の夕陽に向かって……。翌土曜日が、一応僕の書き下ろし最新作にあたる「僕らの玉手箱」の発表会となってた6日の金曜日、その日の授業を全て芝居に傾け、午後のゲネプロに向けて「きっかけ稽古」をしていたのは、僕と劇団員と長岡小学校6年生全員の28人。主役の男子が顔色悪いので聞いてみたら、37度9分の熱がある。10日ほど前に家族が新型インフルに掛かっていて、時期的にも微妙な感じ。何とか中止は避けたい学校側からは「とりあえず今日は頑張らせて、夜医者で新型と判明したら代役で行きましょう」という提案。もちろんこれには「NO」を宣告。もし代役を立てるなら午後のゲネはもちろん、今の今から新キャストで稽古し直さないと間にあうわけが無い。「芝居をなめてはいけません」。なるべく穏やかな口調で諭し、ゲネはこのまま進め、もし夜にインフルエンザと判明したら即中止決定、各関係者にその情報を送る…と腹をくくる。なにせ児童28人全員に個性とセリフを書き下ろし、コロスを極力なくした芝居だから、ダブルキャスト的な発想でも逃げられない。でも、でもね、主役の彼の若い命や仲間への感染を乗り越えてまでやるべきモノではないのだよ、演劇は。親の死に目にはあえなくても仕方ない、大人が自分の生命を掛けて立つのも良いだろう。でも、舞台自体が子供の健康を逆手にとってはいけないのだ。全ては夜の「医者の判断」に任せる事を再確認して、いざ、ゲネプロを行う。いい出来なんだよね、こういう時って。もちろん子供達には「決断」の詳しい内容は話してないから、明日の本番を信じてみな目を輝かせている。僕は「これで見納めかもね」と思いながら、ちゃんとダメ出しをして、本番前日の心得も話して解散。次の仕事に向かいつつ、西陽に祈りながら「そうだ。もし明日中止になっても、3月までにどこかで発表させてやろう、完全ボランティアで構わないから」と新たに決意。その殊勝さが良かったのか、夜になって先生から「インフルエンザではありませんでした」との報。翌日は神様にお礼を言う暇もなく、開演の準備。本番は、流石にミスも多く、ゲネの方が数倍いい出来だった事に苦笑いしながらも「舞台の幕がちゃんと開くシアワセ」を初めて実感するはめに。聞けばその主役の少年、インフルエンザではなかったものの、夜は熱が9度を越し、朝には解熱の座薬を使うも熱が引かず、かなりフラフラしながらこなしたらしい。ついつい「インフルか否か」にだけ囚われていたが、周りの大人たちが「良かった良かった」と言ってる中、彼だけは「どこがいいんだよぉ…」と結構キツイ状態で頑張っていたわけだ。そして、もしかしたら結構生死の境の近くで、フラフラしてた可能性もあるわけなのだが……「いやいや、良い声でてたぜ、ユウタ」と、これまた舞台特有の現場主義、幕が開きゃあコッチのモン的な常套句で逃げてきた。コレを機に、彼が役者に目覚めるか、はたまた演劇嫌いになるか…それまた運命論のなれの果て、責任の持てないカオスなのだ。思えばこの芝居のクライマックスは、大好きだった友達(もちろにヒトではなく魚ですが…)の肉を、泣きながら「食料」として食べるシーン。熱で食欲のない彼が、何かを乗り越えて食べている姿には、演出として背筋がソゾッとしたのも事実。これまた偶発のなせる神様の悪戯として記憶にとどめておこうと思う。……本日から4日間、大阪での桃園会稽古のため家を空けます。少し迷いながらも、ネット系を遮断する環境に身を置きますので、急な用事はぜひ携帯に。

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2009年10月28日 (水)

一目置いて、一肌を脱ぐ。

昨晩から桃園会の「出張稽古」スタート。深津氏不在の稽古場に、緊張やら動揺を隠さない劇団員の面々が眩しい。少し台本を読んでもらうだけで、いかに深津作品を愛しているか、いかにウソなく愛そうとしてるかが、皆々からバシバシ伝わってくる。ある意味今では珍しい(ココで「ウチでは考えられない」などと書くと、後で大事になるコトを僕は既に学んでいる…)ほど純粋な集団の在りよう。心地よい眩暈とともに不純な自分に不安も増すが、そこは見せずに乗り切る。さて、夜の10時まで大阪で稽古をして自宅に戻ろうとすると、手段はただ一つ。自宅から米原まで車でロングドライブして米原駅前に1DAYパーキング。東海道線の快速で梅田まで出るわjけだ。こうしないと帰路がどうにも無理になる。米原で足止めになるわけだ。新幹線でも在来線でも、もっと早く稽古を上げなくてはいけなくなる。もちろん全行程車って手もあるが、流石に高速使わないとどれだけ時間が掛かるか判らない。高速は高速で今度は金が掛かるしね。ちなみに米原までは下道で約1時間20分。昨日は10時少し前に上がって、家に着いたのは2時だった。往復約8時間かけて「正味3時間の稽古」に通うわけで、いやぁ、一人旅好きの演劇人には最高の贅沢ですよぉ~。あ、これ、決して愚痴や嫌味ではないので念のため。悪いけど、僕はそういう人間なのだ。もちろん列車や車の中では、少なくとも部屋に居るより仕事がはかどる。選曲したり、読書や領収書の整理も出来る。それも少し引っ掛けながら…結構「至福に近い」状態なのだ。むろん家族や地元の人たちには「結構大変ですよ~」とか言ってるが、実は次の出張を思いニマニマしていたりする。見舞った友人の笑顔も思い出し「次はもう一本早く出てみるか…」と時刻表を広げたりしているのだ…。…今日は今日で、僕の最新作「僕らの玉手箱」の公演を控えた小学校6年生28人が待っている。これまた今時珍しい仲良しクラスの面々で、学校へ向かう田舎道も含め、とってもノスタルジーを味あわせてくれる仕事。11月7日(土)午前10:40に1回こっきりの上演会。あ、これね、本気で観劇したい人は、見れるように出来ますので、僕に個人的なメールをぜひ。

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2009年10月19日 (月)

我が久遠の加藤和彦

「河童橋…」の東京公演を終え、今回はいわゆる「社会復帰」に丸々1週間かかり、そろそろまとめでお礼ブログを書かなくちゃと思っていた矢先に、これはかなりキツイ訃報だ。耳ざとい人なら(劇団員も怪しいけど…)今回の芝居の客入れの間、ずっと流れていたのが加藤和彦氏のアルバムだったと気付いたはずだ。僕はずっと彼の(確か5曲目)歌声をバックに前説の注意事項や宣伝を喋っていた。「やっぱ何か落ち着くんだよね」とロビーで話してたりしてた。ワイドショーでよく振り返りで流れてる懐かしのフォーク・クルセイダーズのミカバンドの頃の、売れてた頃ではない時代、もっと最近の(とは言え20世紀だけどね…)シャンソンベースだったり、安井かずみとの欧州生活の頃の小品だ。「あの頃、マリーローランサン」なんかは僕の中では最高の逸品で、かつてナビロフトで上演し名古屋市の賞までいただいた「中野エスパーをめぐる冒険~大改訂版」では最初と最後のテーマ曲としてアルバム中の曲を使わせてもらった。歌詞が入った曲をそのまま劇中で流すなんてウチでは普通ありえなく、少なくとも日本語のモノでは加藤和彦さんオンリーだった気がする。今回客入れで(少なくとも不条理と現実の「アイノコ」なホテルのロビーを飾るのは、彼のメロディー以外に思いつかなかった)流していたのは、その3作ほど後のアムバムで、多分、最も売れてない頃ではないかと思われる。

そんなに遠くはないいつか…ミックジャガーもデュランも死ぬだろ? 俺はその日、店を臨時休業にして、丸一日CD聞くんだよ。一人だけで追悼する。一人づつ、一人づつ、お世話になった神様全員を見送るのが、これからの人生だ。それでいい。俺の神様を知らない世代なんかに生まれ変わりたくないのだよ」

…何年か前に東演さんに書いた「大地のカケラ」って戯曲の中、ミュージシャン崩れの地方在住者・千葉のセリフ。なかなかそうもいかなくて、今日ものこのこ大学なんかに出向くわけだ。清志郎の時もそうだった。二日酔いのレッスン場が遠かったなぁ…。余りに安直でありきたりな発想と苦笑いしつつ、どうしても天国のバーで先に逝ったかずみさんと一緒にグダグダ飲んでる和彦氏のイメージが沸いてしまう。やっぱ最後まで我侭なドンファンだったのね。いや、魂だけは少しだけ先回りして、ホテル河童橋のロビーで酔っ払っていたのかも知れないか。合掌はせずに今日一日、唇にハミングを欠かさずに。

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2009年10月 1日 (木)

世代の距離、そしてヴィヨン。

あっという間に10月ですねぇ。今年もあと3ヶ月かぁ…すっかりのご無沙汰です。中津川演劇キャンプは期待以上に楽しかったっす。「柄本明ワークショップ」、「生きている小平次」、「狐の嫁入り」などに感銘多く、特に大会フィナーレを飾った「菊の会」の公演には驚嘆。82歳・竹内菊の「狐の舞」から目が離せない。名声や受賞の噂だけは聞いていたが恥ずかしい事に初の観劇。森山氏のドラムスとのコラボももちろんだが、何より客を楽しませる発想力に脱帽。さすがは和田演出者協会会長のお墨付き。鍛え抜かれた肉体、揺るがない古典芸能の切れ味と笑い、アングラ演劇の生々しさ、小劇場のリアリティー、それら全てを飲み込んだような構成で、観ているものの想像力の息をつかせない様は、まさに和製フィリップ・ジャンティーのよう。でいて本人は「私は演出家としてはまだまだ新人なので」と。これがまた少しも嫌味でない空気で。大会の終了、バラシを終え、帰宅の予定を延ばして打ち上げに参加。真っ先に菊さんをつかまえていろいろお話を聞く。50歳で家元を離れ、いわば「流派に背を向けての」独自の活動が30年。一応80歳で引退を発表したが、和田会長が「ぜひ明治座(文化財でもある地歌舞伎小屋)でも」と引っ張りだしての今回なのだ。失礼ながら引退の理由を聞けば「だって、リサイタルやればいつも満席になっちゃってね、私自身が(その状況に)胡坐をかきそうになっちゃったからね、すぱっとね」との言葉。どこまでかっこよく戦っているのだこのヒトは。ウチのお袋と同い年。何処までも物静かで涼しい表情。いやぁ、あんな風に居られるなら長生きも悪くないかとチラリ。我らが北村透谷の「蓬莱曲」も無事何とか終了。若者とお年寄りから、やたら高評価を聞く。同世代の演劇人はノーコメント、というか観てもいない面々多く、これも最近の演劇状況を反映しているようで興味深い。自己評価は65点かな。ゲネは77点だったが、これもまた一回こっきりの発表ではよくあるケース。個々の役者の肉体・精神状態を演出が完璧にコントロールはできない。できないからこそ芝居なんだと、最近は明るい諦めをしているよ。客演の3名もありがとね。お疲れ様。にしても…ウチはともかく菊の会のフィナーレ公演を観ずに帰った若手・中堅の表現者に対し、心底同情いたします。話題変わって……久しぶりに家に帰ると、9歳の愚息がニマニマしてる。理由を聞けば運動会で自分の赤組が2点差で勝利したらしい。いくら「小学校に入って初めて勝った」とはいえ、「お父さんはお前の年には既に、あんなものはあくまで、あまりに多人数の集団の、個々の戦いの結果であって、自分の喜怒哀楽にはそれほど影響なかったぞ」と思うが口にはせず、むしろその純粋さに少し羨ましさを覚える。数日後、今度はえらく落ち込んでいるのでまたぞろワケを聞くと、近々バスでいく社会見学があり、その道中に皆で歌う歌の募集があり、自分はオレンジレンジの「以心伝心」と「いけない太陽」を応募したがいずれも外されたらしい。きっとバスの中、リーダー気取りで先頭たって歌いたかったのだろうなぁ…。とはいえさ、そこまで落ち込む事かよ、とは言わず「小学校4年には歌詞が大人すぎたのさ」と慰める。「それに少し古いかもね」とは、やはり言わずにおいた。何しろ車に乗ったとき、繰り返しかかるCDを全部覚えるのが彼の趣味だと知っての事だからね…。にしても…いつも教えられるのは、大先輩と子供だよな。特に最近は…。若手の創造者達に「君らは同世代性に依存しすぎてないか? 身近な評価に時間を奪われ過ぎるのも、ある意味勿体無いぜ」などと苦言を言いながら、逆に同世代をあまり信じられず、いろいろ見過ごしてしまっているのは自分の悪いクセではないかとも思う。などと殊勝な事を言いながら……明日は「太宰を読む・ヴィヨンの妻」の小屋入り。週をあければ「河童橋の魔女」東京公演の荷積み、仕込み、ゲネと向かう。ぜひぜひ劇場に足をお運びくださいませ。「世代を超えた」想像力の交流をしようではありませんか(汗)……。

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