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2008年12月の11件の投稿

2008年12月31日 (水)

何故にヒトは、その日を大晦日と呼ぶのか?

初老の男が、その年の最後をベッドで迎えようとしていた。「おじいちゃん、おカラダ大丈夫?」「おお、ハイジか、うん、ありがとう今朝は随分調子がいいよ」「食欲はある?」「ああ…でも医者からお粥だけと宣言されてるからね。チーズとパンが恋しいよ。ここの味付けは特に塩分が薄くてね…」「ウフフ、そう思ってね、私こっそり味付けを変えてみたの。今日ぐらいは良いかと思ってね。はいどうぞ。ハイジの特製粥よ」「ほう、どれどれ……おー、ミソか!!」……この、あるブスの処女の気配りによって、オンジは年明け早々に体調を崩し、それが元で……というわけで(どういうわけだ!)、気付けば大晦日になっていた。劇団の「朝まで忘年会」で、久しぶりに徹夜マージャンに参加したものだから、日が変わっての昨日もボーボーして過ごし、部屋の片付けも、2つの戯曲塾の発表会選抜も中途半端なまま。やはり子供が冬休みだと、なにかと思うように時間が過ごせない。今日の夕刻からは、家族および親族の恒例行事のオンパレード。深夜を除き、少なくとも4日までは完全拘束される段取りだ。思えば10月の半ばから始めたこのブログ。飽き性の自分としては思ったよりマメに書き込んでるなぁ。既に暮らしの中で、大切な自己解放の場として、かけがえのない「自己メディア」になっている気もする。これがこのコーナーのタイトル通り「遅筆」への要因になってるか否か…。いやいや、それほど単純に「時間的」に答えはでないだろうさ。それにしてもブログ開設以降、一日平均でアクセス回数が25回、訪問者が15人ってのがデータにあってね、これには驚くなぁ。少なくとも毎日15人がコレを読んでくれているわけよね。いやいや、もっと多いブログもたくさんあるのだろうけど、何かとても小劇場的な数字で満足している。コメントが出来ないブログって、試しに覗いてみたけど次から訪れなくなるケースも多いと聞く。これも良いよね、まさに小劇場だよね。あ、でも、あんまりリアクションないと、それなりに寂しがるという、複雑な精神構造なので、メールへの感想は適当によろしく。あと、そうそう、劇団忘年会で恒例の「はせ独断・年間観劇回顧ベストテンクイズの回答(つまりベストテンの全情報)」は、新年早々にココに表記する決意をしました、たった今。楽しみにまた覗いてくださいませ。 ではでは皆々様、1年間(ブログ的には2ヵ月半)お世話になりました。ぜしぜし良いお年を。

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2008年12月29日 (月)

北野氏のお墨付き~眼の話③

こういうテストはどうだろう? 網膜剥離の話の続きね。アナタの掌を「パー」にして自分の顔の前に持ってきます。調べたい目の正面、15~20センチでキープし、視点もまた掌の中央で保ち、逆の眼を閉じます。ほとんどの人は掌の中央を見ながら5本の指全てが見えていると思います。それがアナタの視野ですね。僕は同様にした場合、親指と小指の一部しか見えません。他の中3本は見えていないのです。もし僕が河童で、水カキを持っていたとしても、全然のその存在が判らないのです。これが網膜剥離の症状です(以上、前回までの復習ね)。自分の異変に気付いたのは高校2年の秋。道を歩いてると脇の電柱がゆがんで見えて、見直すとまっすぐ…な事が続いて医者に。即検査&入院でした。主治医が真っ先に「最近になって頭部に衝撃を与えるような事を始めましたか?」と聞き、その春から遅咲きの剣道を始めたことを告げると「なるほどなるほど」としたり顔。もともと遺伝的に網膜の接着力が弱かったところに剣道の「面の稽古」が連続的刺激が剥離を促して…との話だった。さてさて、約1ヶ月にわたる手術&入院のエピソードは、いろんな所で書いているので中略。いざ退院の際、主治医曰く「これからは頭部への衝撃を出来る限り控えた、慎重な人生を心がけてくださいね」。高校2年の僕は素直にビビッたが、退院1ヵ月も経たないうちに腹を括った。普通に生きようと決意したのだ。剣道部にも復帰したし、今でも週1のレッスンでは肉体系参加型講師として、ガンガン肉練&ストレッチに汗を流している。時間は流れ、北野武氏が酔ってバイクでガードレールに激突するニュースがあった。耳から血を流していた彼を、一時期は絶望視する報道もあったが、見事に復帰。その記者会見でこんな話をしていた。主治医はさらなる数ヶ月の入院&リハビリを強く勧めたらしいのだ。後遺症の可能性もあるし、顔面神経症が残っているから、芸能人としてはもっと慎重に治療を続けるべきだと。でも北野氏は「ココまででいい」と決断したのだ。自分の人生は自分で決めるもの、とも言っていた。僕はTVでその会見を見ながら、我ながら高校2年の自分の決断を賞賛し、北野氏に励まされた気がした。彼は今でも時々ユニークな顔の表情を続け、僕は頭部への衝撃を気にせず「普通に」生きている。もちろん剥離が視野にまで及べば一度ぐらい医者を尋ねるだろうけど…。(つづく)

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2008年12月27日 (土)

なばなに散った飯島愛

久しぶりにJRで名古屋へ出向いた仕事の帰り、女子大生らしい2人が立ってる僕の脇で、長々とお喋りしていたわけだ。結構大声で。生徒台本を読むのにも疲れて、ぼんやり彼女達の会話を耳にしていると(いろいろ突っ込みを入れたい衝動を抑えながら)、やがて話題は「なばなの里」に。長島観光グループがやっている巨大イルミネーションだ。全国ニュースでも連日紹介され、夜はすごい人手らしい。どうやら女子大生の片方(髪の短いほう)が彼氏と言ったようで喋る喋る。要約すると「平日なのに駐車場が満杯」とか「入場料が2000円でその内の1000円は館内の食事券になっていて、あれはなかなかいいやり方だ」とか「でも一番美味かったのは焼き芋だった」とか諸々。で、肝心のイルミネーションはとなると「うーん。凄いは凄いんだけど、ちょっとくど過ぎかな。電球多すぎ。SFみたい。エコちゃうし。順路の最後のほうにある、自然の樹木のライトアップや紅葉が映る池の方が良かった」との事。ちゃんと見るとこ見てるんだなぁ、チャラチャラした服着てる割には。その池の夜景を見るためなら足を運んでもいい気がした。多分行かないけど。んでその女子学生ペアはと言うと、年末年始の話題を挟んで、最後はやはり飯島愛に。これまた「いやいや彼女はねぇ」と解説入れたいレベルの話に終始していたけれど…。彼女の死に関しては、あまり情報収集していないけど、きっとどこかで人生掛けるような恋愛があって、その失望と絶望が全てのベースに敷かれている気がする。暴露本とかも見てないけど、そう思うのだ。随分昔、彼女のAVを2つほど見たことがある。一つは監督がしょうもなくて早々に早送りしたが、もう一つはいわゆる古き良きロマンポルノの名残が薫る作品で、飯島さんの演技はそれなりに「その後」を予感させるものだった。どこか女の悲しみを見据えたような視線と仕草。僕は彼女自体に惹かれ、AVの「本来持ってる目的」には至らなかったのを覚えている。もちろん一つ目も質が悪すぎて立たなかったんだけどね。ははは。思えばロマンポルノの時代はそういうのって結構あったよね。場末の、3本千円の映画館に勇気を持って入るんだけど、その内の一本が、見事に青春や人生を描いた名作で、感動したり考えさせられたりして映画館を後にする。明らかに監督は全然手を抜いてなくて(実際ポルノだと、その手のシーンさえ押さえておけば後は実に自由なので、実験作や意欲作が多かったのね。今のようなシネフェスとか作品募集がない時代)、後で調べてみたら神代さんや大森さんだったりした。いやいや古い話ですけどね。ウッディーアレンとか、ヴェンダースとか。そうそう永島暎子とか。

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2008年12月24日 (水)

非アクティブに鞭打って…

忘年会やクリスマス会と称した飲み会の類も随分とこなし終わり、後は今夜、愚息とケーキを手作りすれば、残るは29日の劇団のオールナイト忘年会INアトリエを残すのみ。今年こそじっくり部屋掃除をするつもりだったのだが、またぞろ年越してグチャグチャしそう。今日は昨晩からの頭痛と胃痛に悩まされていたが、何とか奮起。AB型のこだわりで洗濯物を干して、生協の注文書を書いて、今年初のストーブを点火すべく押入れから出して灯油を入れていたら気分が少し向上してきた。や、ガソリン臭好きってワケでもないんだけどね。この勢いでカメの水換えまでいければいいのだが、多分挫折しそうな感じ。もう一日生き延びてくれ。何とか冷蔵庫の生肉をこっそりくすめるから。お決まりの外出仕事は年末年始仕様で少なくなってるが、この時期、2つの戯曲塾の発表会選抜をするのが毎年恒例の悩みの種。あれはやっかいだから、まずは机の周りをもう少し片付けてからだな。そのためには…焼酎が切れてるじゃないか。なわけで、午後は外出を決め込む。愚息のプレゼントと、焼酎と…レンタルCDも返して、灯油も買い足すかな…これを学校の学童お迎えの4時半までにこなす。上手く行ったらおなぐさみ。ブログと言うよりはただのメモ用紙だな、暮らしの…。やはりカラ元気にも限界があるらしい。

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2008年12月20日 (土)

消耗し続ける男達へ。

なんか村上龍の言い草みたいだけど……先日、大学の講義の合間に浜松のヴィレッジ・ヴァンガードで、宮台真司(実は結構共感する部分も多かったりして…)の、対談集を立ち読みしていた。そこで彼曰く「東大生は(自分も含め)すべからく自分の彼女が野獣系の男に奪われるんじゃないかという不安と共に生きている」みたいな記述があって、これまた少し共感してしまったわけだ。思えば男女の関係において、その営みが上手く行くか否かは、結果的に男性側に背負わされている。もちろん野獣系の方々には思いも付かない考えだろうけど。ええい。歯に衣着せていても仕方ない。つまり「立たなかった時」の話よ。大体自分の経験からすると、女性は「私に魅力が無いのね…それとも愛してないの?」ってタイプか、「いいのよ、よくある事だし…全然気にしてないから」のどちらかなんだけど、実際はそのどちらでもない実につまらない(女性にすれば)理由だったりするのだが、どちらにしても「男の所為」には違いなくて、より一層負担は大きくなる。ナイーブ系は困ったことに、この経験がトラウマになって、次の機会はより一層ハードルが高くなるわけだ。悪循環だよね。でもそれも全て「そういう風に出来ている」かも知れなくて、それが全ての地球上の争いごとの根源だったりして……なんて事を「燐光群」の芝居を見ながらボンヤリ考えていた僕は不謹慎な非国民でしょうか? ちょっと長いよ坂手さん…。部分的には「戦争を忘れない会」の啓発的巡回芝居に思えるところも…。あ、そうそう、歯医者は無事に終わって、上の前歯だけは仮歯を入れてもらって結構満足。もしかしたら現実的で表層の世界に生きているのは僕の方かも知れない。今日は今年最後の2つの戯曲塾はしご。両方の発表会ノミネート締め切りが重なり、駆け込み提出の山。未読の作品も溜まっている。加えて長久手の方は恒例のクリスマス&忘年会。プレゼント交換の品が上手く買えるかと、カミサンの機嫌が悪化しないか、がとても心配。

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2008年12月17日 (水)

抜けた歯の 分だけ人に 優しくし…

抜けた2本の前歯について、いろいろ心配のメールをいただいた。中には「歯医者に行く前にぜひ見てみたい」って類のものもあったけど…。悪いけど、じゃあ、と言って写真を撮ってココに載っける(実際やり方知らないし、ココはただ単に文章の垂れ流しで続けたいのさ)ほど間抜けではありませんので。歯抜けではあるけど。そういえば昔、僕が留守電のオリジナルメッセージに「ただいま出抜けていますので…」と吹き込んでおいたら、制作の女性から「なんか腑抜けに聞こえるから変えたほうがいい」と指摘を受けたなぁ…。あ、そうそう、このブログはコメントもトラックバックも今のところ受け付けていませんので、何かモノ申したい人は面倒ですが僕の個人メール「anc37244@niftyどっとneどっとjp」(こう表記したほうが自動迷惑メールが減ると知り合いに教えられたので…うーんタメになるなぁ)まで送ってくださいね。で、歯の方は木曜の朝一に予約が取れた。明日じゃん。うーん憂鬱。月曜の大学と昨日の打ち合わせは、風邪気味ってことも言い訳に基本外出時はマスクをはめて過ごした。マスクをして眼鏡をしていると、自分の呼吸で眼鏡が曇る。4秒ほどで曇りは消えるが、無意識にそれに合わせて、つまり曇りが消えるまで呼吸を止めるので、かえって疲れる。何より、外見とか笑顔に自信が持てない中で人とコミュニケーションを持つことは、常に自分の小ささを確認しているようなことなので、とても客観的に仕事がこなせている。コレはなかなか面白い経験。もちろん見せはしないが「実は前歯が…」とちゃんと告白はしているわけで、大学の女子学生に「それで台本書いてくださいよ」と言われたが、ちゃんと歯抜けがモチーフのネタは一つ作ったもんね。転んでもだたでは起きないのだよ、劇作家って人種は。にしても昨晩、打ち合わせの食事会で飲んだ地ビールはさすがに美味かったなぁ。忘年会の予定も後半戦。土曜に戯曲塾のがあって…ああ、劇団のアトリエ泊り込み忘年会が29日。僕が企画する恒例の「年間観劇ベスト10クイズ」も考えなきゃ。でも今年は年内にまだ3本観る予定なので、まだいいか。

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2008年12月15日 (月)

老化は走らない・歯の話①

弱点自慢のカテゴリーで、網膜剥離の話がまだ終わってないうちに、次に控えていた「歯の話」をせざるを得ない状況になってしまった。昨日一日で、なんと前歯が2本もまとめて抜けてしまったのだ。さすがに前歯だからね。鏡を見ると憂鬱になる。正確には下の一本は根元からすっかり、上の歯は虫歯がらみで根っこが少し残っている。抜ける時の痛みが全然なく(これまたある種怖いけど…)下の歯が歩いていて、上の歯が子供とアイスを食べている時。いつしか口の中に堅い小さな欠片があって「何だ? あ、歯だ…」って感じ。もちろんコレには十分自覚する伏線もあった。2年ほど前に、大荷物を抱えて歩いてた時、ぬかるみで滑って転倒した。極度に疲れていた深夜で、少しアルコールも入ってたかな? とっさにノートパソコンをかばってしまった僕の反射神経。手からではなく顔から、正確には口の辺りからコンクリートの出っ張りに激突したのだ。マジで人気(ひとけ)のない駐車場で大きなうめき声を出していた。結構出血し、今回抜けた歯は当時からグラグラになっていたのだ。すぐに医者に行くのが普通だろうが、そこは僕の「どうにも頑固な理論的医者嫌い」のため(この辺を語るのがこのカテゴリーの目的です)、とりあえず抜けるまで、大事に大事にして生きてきたのだ。我ながら良く持ったと思う。幸い歯神経もまた、他の人より鈍感なのだろう。んなわけで、出来れば網膜剥離から論理を繋ぎたかったんだけど、まあ、せっかくのライブドキュメントなので、こっちの話も並行して書き記しておこうと思う。そもそも歯に関してルーツを語れば、「遺伝的に最悪ですね。亡くなられたお父様、失礼ですけど40代で総入歯じゃなかったですか?」と切り出した、当時の主治医から始まる。その開業医は、経営的な人気よりも科学性な現実告知を重んじるタイプだった。僕が26歳の時だ。親父の40代に関する推理を驚きながら認めた僕に、「うん。」と頷いたその歯科医は、僕のレントゲンを見せながら、さらにご丁寧に健常な人のそれと比較までしながら「ほら、歯茎に入ってる根の部分が、普通の人の半分しかないでしょ?」と得意の分析顔。加えてPH値から極度に虫歯になりやすい体質であることも「告知して」くれたのだ。僕は既に17歳の時に「君の網膜は遺伝的に剥がれやすい素質を持っている」と告げられていたので(詳細は「眼の話」にて…)、「またか」って感じだったけど、さすがにクールな医者も自分の言葉を少し反省したのか、適当に慰める言葉をくれた。でも彼の気質は、最後にこう告げる「衝動」を押さえることは出来ないらしかった。「もって50歳まででしょうが…延命としてブラッシングは続けてください。医療技術の進化のスピードとの勝負ですね」。48歳の僕は、今では居場所もわからないその歯科医の予見性に賞賛を送りつつ、もし医者が「あそこまで正直に」告げなかったら僕はどうしてただろうと思うのだ。あ、でも続きは次の経過報告の中でね。長くなったし、そろそろ今の歯科医に予約を入れなきゃ。今日は大学、明日は打ち合わせ。いつまで「歯抜けの劇作家」で居なくちゃいけないのだろう? でも、もし僕が誰かに恋してる若者だったり、初デートを控えた前日だったりしたら、きっともっとオロオロ、クヨクヨしてたろうな。そうか、老化現象と恋愛感覚もまた、人生の時間軸では、ドッグレースを繰り広げているのかもね。まるで延命と医療技術の関係のように…。  

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2008年12月11日 (木)

我が追憶の12月のトラウマ

一つ前の文章を書きながら「なぜ自分はクリスマスに弱いのか」ボンヤリ考えてたんだけど、少し思い当たることがあったので、自分史的、記録的に書いておく。実はハロウィンにも少し弱くて、これは明らかに前にも書いた「月間少女マンガ時代」の影響なんだけど、クリスマスは少し謎だった。敬虔な仏教徒(笑)だし。多分小6か中1だと思われる。どうやらアメリカンポップスに影響を受けているらしいのだ。12月の半ばに図画工作の授業で、細かい切り張りの細密画を書かせる授業があって、書かせるというかブラスチックの板を細かく(多分2ミリ四方ぐらい)切って、直径30センチほどの皿状の工作版に貼り付けて、いわゆる「絵皿」を作るわけなんだけど、これにはまったんだな。それまで集中力が乏しく、飽き性だった僕が、初めて何日も何晩も集中して作った(ウチに持ち帰ってね)。提出期限が過ぎても、先生にちゃんと喋って遅らせてもらって(当時、既に大人の顔を見て生きていた僕としては画期的)。まあ、初めて覚えた「夜更かしの味」ってのも一つにはあるのだろうが、気障(キザ)にいえば「アートに目覚めた微熱少年」の時期だった。作っていたのは「我が人生」みたいなテーマの抽象的なデザインで、遠くに小さな扉があってそこまでの道がグニャグニャに迂回して、そのロードの周りには、行く手を阻む、今思えば中国の通魔鬼(トンモークイ:空中に浮遊する悪意の気の塊のような妖怪?)がいっぱい囲んでる構図だった。先生からもらうプラスチックのプレートは、何色かあるんだけど、級友達が欲しがるビビッドな色には目を向けず、中間色やくすんだ色ばかり選んでいた。多分、何かが降りてきてたんだろうな。んで、夜な夜な取り組んでいた時が12月で、ラジオから流れるアメリカンポップスのメロディーの記憶がシンクロしてるわけだ。僕の音楽史の中では、フォークやロックに完全移行する少し前。まだビリージョエルは「ピアノマン」を歌っていなくて、デュランは活動を休止していた時期。いろいろメロディーは浮かぶのだが、特に鮮明なのはキャプテン&テニールの「ラヴ・ウイル・キープ・アス・トゥゲザー」とかギルバート・オサリバンの「アローンアゲイン」、それにビートルズのホワイトアルバムやCCR。最新曲から当時としても古いアルバムまでごちゃごちゃだが、その時の僕には同類の「歌謡曲ではない新鮮な音楽」だ。でもプログレ系ののマッチング・モールの初期アルバムなんかも覚えてる。ま、とにかく、そんなモノを聞きながら、炬燵の中で、夜な夜な一つ一つピンセットで色の欠片(かけら)を拾いながら、自分のためのアートをしていたあの12月の日々。どうやらこれがクリスマスを無視できない自分に直結しているらしいのだ。あの心地よい孤独感と温かい音楽。直接のクリスマスソングではないのだが、このある種の「トラウマ」によって自分はクリスマスに頭が上がらない。結果、その作品は年を明けて完成し、コンテストには間に合わなかったが担任と美術の先生からは素敵なほめ言葉をもらった。でも、これが未だに「売れなくてもいいや」的な小劇場魂に直結していたら少し悲しい気もしないではない。ヒトってのはやはり不思議だ。気付けばとんでもない些細な過去の風景に今を支配されている。息子はまだ8歳で、家の近くの結婚式場の、夜の間接照明におびえて道を迂回するような「怖がり屋」なのだが、いつか見せようとティム・バートンの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のDVDはとっくの昔に買ってある。

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2008年12月 9日 (火)

イルミの居る間に初心(うぶ)なラブ?

最近、我が家のCDデッキは大活躍をしている。僕が次から次へと新しい兼価版中古CDを買ってくるからだ。それもそのアーティストたるや「井上揚水」「森田童子」「泉谷しげる」「憂歌団」「大貫妙子」「エアロスミス」「デビッドボウイ」…時々間違えて「小田和正」まで入っている。年寄りが「青春を振り返ってしまいそうな」面々なのだが、そこは長年のジャケット買いの王者として、絶対250円コーナー(ブックオフ系)、もしくは380円コーナー(ゲオ系)までで留めている。これってアレかなぁ…ここんとこずっと、劇団の選曲してる職業病で、長く環境音楽やヒーリング系ばかり聞いてて、そのジャンルに強くなりすぎた反作用なのかなぁ? ま。何しろ、平気で5時間カラオケを2回ぐらいは行けそうになっている。誰か付き合ってくれんかのぉ…。今日は大学で「戯曲とは?」のさわりをダラダラ講義した後で、劇作家協会東海支部の支部会へ。その帰り、名古屋駅の名物イルミネーションをチラリと観た。「この不景気でもこんなに電力消費するのね」と思いつつ、若い、多分初デートのカップルなんかを見ると、間接的に冷やかしてやりたくなる程度には、ハートウォーミングになってるから不思議だ。ま、元々「明かりモノ」に弱いんだけどね。白と赤に絞ったシンプルな演出はまあまあ好きだったな。でも、そんなイルミを見ながら、甲斐バンドの「男と女のいる舗道」なんかが浮かんでしまう辺り、ちとヤバイかも。3年ほど前に酔って道路に顔面からこけた時、歯を痛打して(結構出血して…)2~3本グラグラになってて、その1本(下の歯の結構前の方)が一両日中に抜けそうです。ちなみに「歯」もジャクテンの大黒柱ね。あ、それと「名古屋演劇アーカイブ」というブログ雑誌(?)の長谷川公次郎さんが、僕のインタビュー記事を載っけてくれました。割と素直に劇団のことや芝居のことを書いてます。よければ(いきなり変な顔が現れますけど…)http://nagoyatrouper.com/interview/013/を覗いてみてやってくださいませ。

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2008年12月 5日 (金)

持病と女性編集者と脱稿と…

実はこっそり、この1週間ほど悶々と取り組んでいた演劇雑誌「せりふの時代」への寄稿をやっと昨日終えた。うーん、苦しんだなぁ今回は。誌面にしてわずか2Pモノなのに。やっぱお題が「維新派の『呼吸機械』を観て…」って雑感だったから、緊張もしたし推敲もした。でも何より「書きたいこと」が溢れてきて、マックスだと指定の文字数の3倍弱の分量あったから。削るだけで3日間も費やしてしまった。年明けて1月の上旬発刊の号で掲載されるはずだから、ぜひとも(購入して!)ご覧くださいませ。お世話になってる編集部の○○女史が、早速受け取りと激励のメールをくれる。嬉しいもんだよね、こういうのって、このタイミング。さすが小学館。優れた人材は離さないなぁ。 んなこんなで、少し疲労が溜まってか、昨日と今日は夜の8時ぐらいから、持病の心臓がチクチク痛む。ま、以前からよくある現象で、大した事はない程度なのだけど、2日続いてはあまり記憶になくて、少し気持ち悪い。でも、周囲の人間にとってはいつもの「つぼやき」。8歳の愚息以外はさして親身に心配もしてくれない。「くっそぉ、裏をかいてポックリ逝ってやる」…といじけていても仕方ない。思えば「心の臓」の話は最近停滞してる「マイケル弱点」のカテゴリーの4~5番目の演目予定だった…。ま、いっか、適当で。明日の夜は義理重視の飲み会で気が重い。いつになったら僕の書斎は片付くのだろう…。なんか命がけな感じだ。

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2008年12月 3日 (水)

僕の腕時計、彼女の指先。

土曜日の正午過ぎに腕時計が止まった。電池切れ。危うく岐阜市の戯曲塾に遅れかけた。そうなのだ。僕は腕時計がないと生きていけない体質なのだ。少し大げさか……生きてはいける。でも急に「腑抜け」になる。時間の感覚はもちろん、一見スケジュールには無縁の行動でも「やる気が無くなる」というか「落ち着かない」というか「集中力がなくなる」のだ。夜寝るときも腕時計は絶対外さないし、着けてれば、たとえうたた寝しても残った仕事があれば適度に目覚め、寝坊もしない。多分、一日の生活やレム睡眠中に、自覚なく何百回も腕時計を眺めているのだと思うのだ。それで無意識に安心したり確認したりしてるのだろう。さてそれで、丸一日不安な日常を送った後、日曜の午前に、歩いていけるアピタの時計屋に行ったわけ。この時計屋は結構気に入っていて、電池交換は高いが3年間無料保障なので、いそいそと出かけた。ちなみにこの日は11月30日で、珍しく店内には数人の客。よく見れば「今月限り」の閉店セールのチラシ。つまり本日で最後の営業だったのだ。全品30%OFFだという。でも店側は見慣れた女性の店員が一人だけ。仕事にプライドを持っていて、時には冷やかしの客をクールに扱う彼女を、結構気に入っていたのだが、今日で閉める店内を少しずつ整理しながら、最後の店への寂しさを隠しながら、黙々と仕事をこなしている。無料で電池交換できる最後のチャンスを見逃さず、見事に停止してくれた僕の腕時計の功績を借りて、少しだけ喋る。「全然知らなかったよ。別の支店に行くの」「いえ、もう辞めるんです」「そうなんだ」「ええ、この仕事自体を…」。何だか村上春樹の主人公のような気分。もう少し喋りたかったが、そこはさすがに現実。僕の後の客が、多分早めのクリスマスプレゼントにするつもりか、ギフト包装を依頼して、それ以上の会話は進まなかった。いささかぎこちない手つきで、それでも丁寧に小箱を包装する彼女を暫し眺める。最後のリボンをギュッと…力を込めた彼女の指先を見納めに、持ち合わせの無い僕は店を出た。こうして僕と彼女の時間は2度と交わることはなくなった。

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