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2009年2月の6件の投稿

2009年2月27日 (金)

羞恥の想いは螺旋して…

いやいや…連日、それも24時間を明けずに更新するなんて、滅多に無いことなんだけど、ちょっと忘れないうちに、メモがわりに書き込ませていただきます。今、戯曲塾の発表に向け、作家と最終の台本現場修正に関して、いろいろコンタクトを取っている時期で(僕はすっかり眼鏡派ですが…あ、かえって混乱するか、このボケは…)稽古の帰り道、携帯であーだこーだと作家と話しながらロンリードライブをしていたわけっすよ。んで、家について、軽くアルコール飲んで一息入れてたら、急に先ほどの電話の件で、言い足らなかった事柄について、新しい論理展開と、それに付随する適切な文言を思いついたのね。どうも朝になったら忘れそうで、何とか伝えたい。や、忘れそうってのは口実で、「早く言いたい欲求」が睡眠欲より勝り、朝を迎えるのは明白だった。そこで、さすがに深夜だから、と思って携帯メールを打った。結構長く、結構真面目に。んで、脳が満足して、さてと入浴するかと思った矢先、メールの返信が…。見れば「承知しましたwink大丈夫ですgoodお疲れ様upwardright」のような返信。まさかlこんな時間に起きているとは…僕は急に恥ずかしくなって、穴があったら入りたい心境になったのだ。さて、どうして僕は恥ずかしくなったのでしょうか?……いやいや、クイズではなくてね……実際、どうして恥ずかしくなったのかが、自分でも暫し合点がいかなかったのだ。だってたかがメールだろ? 恥ずかしさを覚えるほどの距離感ではない事を最初から判っているだろうに…って思いがあった。んで、数分間マジで考えてやっと判明。そうなのだ、これはあの「留守番電話への吹き込み」現象に似ている。てっきり相手が居ないと信じて留守電に長々と吹き込んでいる途中、急に相手が「ふーん、そうだったんだぁ~」と会話をしてきた感覚なのだ。てっきり相手は寝ていると信じて、客観性を盾に、今すぐは読まれない(聞かれない)はずの文章を、実に真面目に「書き言葉」(留守電なら伝言)として記していたら、急にライブの、いわゆる会話に持ち込まれた感覚。悦に入ってモノローグしてる最中に、「誰に喋ってんだよ?」と尋寝られたような後味の悪さ。それだったのだ…。これは発見だ。少し書き言葉としてのメールを甘く見ていたのかも知れない。メール文化は日々進化している…いや、違うな…メールによって、我々の言語感覚、もしくは会話の性質も、どんどん変化しているのだ。…なんて事を考えながら、「誰かにふとした発見を伝えたい欲求」が、この書き込みによって満たされて…今度こそ真面目に眠りに入りたいと思います。

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2009年2月26日 (木)

定番な記念日、お決まりの日常

昨日、華陽フロンティア高校の発表会が終わり、マジックがあと2つに。残るは長久手の戯曲セミナー発表会と日本ナレーション演技研究所のクラス発表会だ。思えばこの2ヶ月で、大学のミニ発表会から数え、今年は15の短編作品を演出することになる。まあ、毎年同じくらいだけどね。作品数ではあとマジック7。最後のクラス発表は1演目だけど、4チームあるからちょうど折り返しって感じだな。その全ての選曲をして、たまにオペもやって(手術ではないよ…外科医兼演出家ってのも悪くないけど手遅れだな…)時には照明、音響を一人でこなすこともある。誰か評価してくれないかなぁ? このささやかな器用さを。ま、いいんだけど。飄々とこなしてこその我が美学なのだから。さてさて、本日は愚息の誕生日。近くの有名なケーキ屋に夕方買いに行ったら、大き目のしか残っていなかった。本当かよ?…と経営方針を少し疑いつつも、チョコプレートに名前と蝋燭9本。ま、毎年のことだからな。4年生になったら自転車とグローブを新調しないといけないので、カミサンは「それがプレゼントだからね」と随分前から言い渡してあるのだが、さすがに何もないといじけるかと思い、中古のDVDを昼間に買う。今年はタカ&トシのコントライブ。780円ナリ。安っ。風呂上りに一緒にベッドで観たが、息子は第3話辺りで(全部で10のライブ+α)笑いながら就寝していったから、まあ、幸せな誕生日だったのではないかと思う。そのDVDを買った行きつけの古本&リサイクル雑貨店は、古着もかなりの扱いで、綿シャツも一つ買った。もちろん自分の。もちろん黒。三輪明宏さんに言わせれば、黒の服は死の象徴で、運気を日々下げる最低なチョイスらしいが、ココ15年ぐらいモノトーンしか着ない買わない欲しくないで来ているからなぁ…。それ以外を着るとどうにも落ちつかない。いわゆる自分の「定番」がどんどん増えている気がする。一見、どんどん冒険心が減ってきている気にもなるが、いやいや、他のもっと大事な情報にアンテナを絞るためには、それくらいの整理が必要な気もするのだが…コレに関してはぜひ次回からのお題に。なにしろ息子の誕生日も一つの「定番作り」には違いないわけで、来年もきっと余り意味の無い(彼の人生に何かを期待しない程度には無責任な)DVDを贈ることだろう。ちなみに昨年は、自分の永遠の憧れのアメリカン少女ヒーロー「キム・ポッシブル」のDVDを2枚(2枚で1000円ナリ。安っ)贈って2人ではまった。 いつか彼女と仕事が出来たらなぁ…相手はアニメだけど…どっと疲れるだろうけど…

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2009年2月22日 (日)

ポケモンと息子に学ぶ。

それは突然やってきた。間もなく9歳になる息子と、2人で車に乗っていた時だった。ポケモンがウンコをするか否かが話題の柱になっていて、「しないと思う。あいつら人じゃないし」と言い張る息子に、「いやいや、だって、じゃあ、あいつら何も食べないのか?」と聞くと「や、ポケモンセンターにはポケモンフーズとか置いてあるし…」とか言うので、「だったらおかしいだろ。食べて出さないなら、そのまま行ったら、全ポケモンがぽっちゃり系になるじゃないか?」という論理に彼も納得しかけていた時だった。彼が急に「新しい技を発明した。そうだな…レックーザの技にしよう」と言うのだ。ちなみにこれはカードゲームの技の話で、このカードゲームがなかなかどうして結構楽しいモノに出来ている。自分で60枚のデッキ(その試合で使用するカードの束)を構成し、それをちゃんとシャッフルし、ルールに従って上から引いて相手と戦うのだが、お気に入りのポケモンを進化させたり、上級の技を使うためには、バランスよく自分のデッキに「エネルギーカード」や「トレーナーカード」を混ぜておかないと、すぐに負けてしまう。60枚の中に強いポケモンばかりを入れても絶対勝てないし、進化させたいなら、その前のもの(「種ポケモン」と呼ばれる)を、確率を考えて2枚以上忍ばせたりする。どんなに運が悪くても、ある程度戦えるようにして、次のドロー(攻撃の始まりに一枚カードを引く行為)に賭けるわけだ。自分のデッキとは言え、どれをどう引くかはシャッフルの運次第。この辺がゲーム機モノにはない、カードゲーム本来の醍醐味を孕んでいる。試合の最初には、相手と握手をして挨拶をしなくちゃいけないのも粋だが、何より、戦い方に「ポリシー」や「個性」を持って望まないといけないわけで、自分の世代なら大学生になってやっと楽しさが判ってきた、ボード版のRPGに趣にも似ている。これを小学生が平気で楽しんでいるのだから、とても自分の過去をサンプルに、子供に価値観を押し付けらる時代ではない、という話なのだが…ま、これはまた後日として……なにしろこのカードゲームで息子の相手をしていると、決まってこっちの方が楽しくなり「負けてなるものか」と、深夜、子供が眠った後で、自分のデッキバランスを再構成したりするほど……。説明が長くなったが……つまりその「ポケモンカード」には、そにポケモンの出せる技が2つ書いてあって、それで攻撃するわけだ。それの「新しいの技」「オリジナルな技」を自分達で作ろうという、ドライブ中の会話のシリーズが既に前からあったわけですよ。例えば「トルネードダンス」(素敵な踊りで相手の目を回し-20ダメージ)とか「金色のおなら」(相手に匂いで攻撃し-30ダメージ)とかの名作が生まれていた。そしてこの日、息子が発明した技の名前が「ヒトとはどういうモノなのか?」だと言う。さすがにドキリとして真意を聞くと、「あいつらはポケモンだから、人間のことをよく知らないから、突然聞かれて考えてしまう。その隙に『逃げる』も使えるし、相手のエネルギーカードを一枚奪ってもいい、という、スペシャル技」だと言う。……「それはポケモンにも効くだろうけど、ヒトにはもっと効くんじゃないかな…」とつぶやいて、「どういう意味?」との愚息の問いかけに、さすがに「いあや、いいんだ…」としか答えれなかった…。こうして人類は常に新しい価値観の進化を続けていく。今が、今こそが最先端なのだと思う。つまり……SFXで描かれる近未来に、リアリティーなど感じてはいけないのだ。そんなものは誰にも保障されていない。地球環境もそう。恋愛もそう。子育てもそう。今が先っぽなのだ。逆に言えば、だから遠慮は要らない…って理屈にもなるのだけどね。

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2009年2月16日 (月)

バレンタイン・ショック

土曜日のこと。少年野球に行く8歳の息子が妙にあらたまって「父ちゃん、今日は野球に来なくていいよ。自分で自転車で行って自分で帰ってくるから」と言う。普段なら半ば強制的に玉拾いに借り出されるのに…。明らかに不審だ。続けて愚息が「んでね…もし何かチャイムがなって何かが届くようだったら、受け取って置くように(原文ママ)…」……?……そうか! バレンタインディだったのね! …てなわけで、随分久しぶりな書き込みっす。すっかりご無沙汰でやんした。ちなみに前回書いた時から、既に劇王も終わって(様子はぜひ北村想さんのブログを。大筋感想は同じですので…何より小熊さんの演出には脱帽…)、岐阜市の戯曲塾発表会も強行突破で無事終わり(劇団はぐるまの2人の女優さんのお陰もあって…)、先週は長久手のキャスティング(と言うより出演者のスケジュール調整)で大わらわでした。いろんな人にあいさつ不足な気がします。きっとこういう忙しさにかまけている時に、知らず知らず無礼があって、人は僕から離れていくんだろうなぁ…ま、いいや。ちゃんと怒ってくれる人だけ残れば…。てなこんなで、今年はバレンタインの前の日が「13日の金曜日」で、僕は名古屋のレッスンがあったのでチョコが結構集まった。そんで当日の土曜が「戯セミ発表会の顔合わせ会」。作家の卵からの貢物も結構な量になって、家に持ち帰り「父親の威厳」を息子に見せるには十分だった(ちなみに彼も2人の女の子から宅配があり、結構ご満悦。一つも届かない場合の対処を苦慮していたが、杞憂に終わり一安心)。あ、でも、ホワイトデイは期待しないでくださいね。まだまだ貧困の季節は続いていますから。思えば今年は商品券の換金と、ビール券での生活必需品購入が功を奏して、何とか乗り切れる見込み。にしても、早く振り込みこないかなぁ…。半年後の日本はとんでもない不況の嵐の真っ只中らしいけど、こちとらまずは今月、そして来月だね…。借金が11万円でしょ? 引き落とし口座への入金リミットが6日間かぁ…。思えば岐阜市の打ち上げの飲み代も、九州に嫁に行った作家兼女優から借りて凌いだし…あ、もちろん返したけどね。劇団の男優からもまだ借りてる気がする…。あ、そうそう、んでね、「座右の焼酎」がいよいよ切れて、ビール券も使い果たしたまさにその土曜日にだなぁ…「チョコのかわりに」ってね、塾生の劇作家と名古屋の女優2人の計三人で金出し合って「蕎麦焼酎」をくれたのさ。しかもこのブログで口を酸っぱくしていて言ってる蕎麦100%の「十割」ときた。もらった瞬間、人目をはばからず抱きしめてたモンね、10秒ぐらい。これも悪しき風習のお陰です。ますます思想的に柔軟に、骨抜きになっていくよ、あたしゃ……。「セに原は還れない」…ああ、これはWBCで散々なメにあった原監督が、ロッテの監督に就任する「近未来」があって初めて成立するギャグなので念のため…。

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2009年2月 5日 (木)

国道沿い、謎のカップル。

先日(あえて伏せるが…)久しぶりに浜松に(大学ね)車で出向いた帰り、国道沿いのコンビニに入ろうとしたら、入り口に近い駐車スペースが埋まっていた。遠いほうへ車を回そうかなと思ったらとしていたら、一台のカップルの乗った車が、いいタイミングで出始めたので、少し待ってそこに車を収めたわけさ。車内に残った缶ゴミを捨てていると、そのカップルの車は国道に戻らず、少し離れた(でもそのコンビニの敷地内の)入り口から遠いスペースに駐車し直しているのに気付いた。「おいおい、昼間からキスでもするつもりか?」と、別に見たくもないのでさっさと店内に入った。おにぎりと缶コーヒーを買って(トイレも借りて)出てきたら、その車はまだそこにあって、カップルは何やら食べている。「何だ、ただの安上がりな晩飯かい」。確かに車は人目の多い国道に向いていて、キス目的なら逆のはず。最初は店に向かって頭から突っ込んでいたので、都合180度、車を回転させたことになる。モノを食べてる2人の表情が、明らかにムスッとして、喧嘩の最中みたいだったのが妙に印象に残ったのだが、そのまま車を発進させた。やがて眠気覚ましのカーラジオから、DJが今日の話題を喋ってるのを聞いて、全てが判明した。節分だったのだ。そういえばカップルさんが食べていたのは太目のまき寿司。そう、「恵方巻」って奴だったのだ。コンビニにも横断幕があったなぁ。僕は迷わずいつもの「焼鮭おにぎり」を手にしたが、その隣にコーナーもあった気がする。きっと車内で「恵方巻」を食べようってことになって、その年の吉方を向いて(今年は東北東だったらしい)食べやすいように車を駐車し直したのだ。僕は謎解きミステリーの探偵が、犯人の動機に気付くクライマックスを味わうような快感を覚えたが、しかしまだ僕は一つ見落としていた。DJの話の続きを聞き、生まれて初めて「食べ終わるまで言葉を発してはいけない」という基本ルールを知ったのだ。なるほど、それで2人とも、あんな不機嫌な感じで黙々と食していたのだな。うーん、満足。2段構えのサスペンス構成。すっかり眠気も吹っ飛んだ。まあ、どこかに話題の仕掛け人とかフィクサーとかがいて、見事に新しい風習として全国的に広め、経済効果を成功させたんだろうけど…。確かに「無言で」ってのはイベントとしてもバランスがいいんだろうなぁ。「会話を経つ」のもある種の非日常だし、年に一回の行為としては「流行の要素」に成りうるのだろう。いわゆる「にらめっこ」の原理で、逆に互いを意識する。例えば、ほんの少しのノイズが余計に笑いを助長して、中には咽(むせ)たり米粒が変なところに入ったり…きっとあのカップルも、それなりに(表情とは逆に)楽しい時間を過ごしたことだろう。そういえばやはり「経済的な口車」の産物、バレンタインディなるものも近い。今年の2月14日は…長久手戯曲セミナー発表会の「顔合わせ」の日か…。6作品を依頼した名古屋の役者陣が一気に集いますなぁ…フフフ。塾生の諸君は「付け届け」のいい機会でっせ。私は心が広いので、甘いものでなくても、焼酎のアテでも、いやいや本体でも、ありがたく真心受け取りまっせ。あ、でも、翌月の「3月14日・ホワイトディ」とやらは、ちょうど戯曲塾発表会の当日だから、残念ながらお返しを用意する時間的余裕が無いとは思うのですが……。

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2009年2月 1日 (日)

「芝居の神様」に、ご用心…。

あっという間に2月だなぁ…。今年も多分早いなぁ。時間の流れがさぁ。一日単位では結構長く感じるのに、まとめてだと「矢の如し」に思えるのは何でだろう? 今回は、お気楽に、宣伝をまとめて羅列しますね…。僕が塾長をしている岐阜市の戯曲塾の「優秀作品発表会」が2月の11日(水・祝)の午後3時から、岐阜市文化センター小ホールにて開催されます。予算&時間の関係で例年はドラマリーディング形式の発表だったんだけど、某会館の某担当者の熱意に押され今年は4作品中1つが芝居での発表。入場無料にしてはなかなかの作品群なので、ぜひ近隣の方は足を運んでくださいな。んで、その「芝居」の方は、劇団はぐるま所属の信頼できる2人の女優さんに参加していただき、ウチの小山も特別出演する。稽古してて、やっぱ芝居は舞台経験が信頼なんだなぁ、と思う。実際、発表会までの稽古は、ほんの数回。現場でガンガン作りこむタイプで、ある意味「一発勝負」に近い。だから、真面目に芝居作りを考えている人から言わせると、とんでもなく無謀な、無茶な、ある種「芝居を舐めんなよ」的なところで発表会まで持っていく事になる。中にはこういう仕事の仕方に対し、さらにそこそこ成立させていまう行為自体に対し、「けしからん」とか「対行政に、芝居文化を安売りする行為だ」とのお叱りも、まま受ける。もちろん気持ちも判るのだが、いやいや、芝居や演劇が、そこまでお高くとまっていても、現状、テレビ文化には抗えないでしょ? って気持ちもある。加えて長く戯曲塾やってて思うのは、金とかギャラとかとは少し違ったベクトルが確かにあって、それは平易に言えば「この作品、演出したいな」とか「何とか皆に見せたいな」って感覚なんだな。コレばかりはなかなか否定できない。信頼できる役者陣は、一番大事にしたい台本のエッセンスを口早に喋り、ポイントだけ強調する、僕の演出方針に立会い、事情と立場をいち早く察して、緊張しながら早めの作りこみをしてくれる。これにすがって何とか成立する仕事なのだ。僕自身もまた、そりゃ精神的にも現実的にも、かなりのボランティアだけど、台本があって役者がそろえば、そりゃあ全力を注いでしまうのが芝居人の性(さが)なのだ…。おっと、いかんいかん。宣伝に戻ろう…。岐阜市の前の7、8日(土日です)にはご存知、劇作家協会東海支部と長久手町文化の家が繰り出す「劇王2009」。これには同町の、やはり僕が塾長をしている戯曲塾生徒、市瀬嬢の作品も登場する。さらに長久手つながりだと…3月14日(土曜日、世間ではホワイトディとからしいが…)に長久手町文化の家・風のホールにて「戯曲セミナー優秀戯曲上演会・『屋号アイコ』の常連」が午後7時から。これまた入場無料。講座開設10周年の珠玉の短編集。金は無くても時間のある方はぜひぜひ。さてさて…『演劇の神様』は(もちろん居ればの話だけどね…)やはり作家の頭脳の中と、劇場に存在しているような気がする。神様の甘い汁に騙されて、知らず知らず僕達は、訳のわからない「充足感」を得てしまう。もちろん集団論的な「達成感」や、役者の「演じる快感」と、見分けがつきにくいから、用心しなくちゃいけないけどね。

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