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2009年10月の3件の投稿

2009年10月28日 (水)

一目置いて、一肌を脱ぐ。

昨晩から桃園会の「出張稽古」スタート。深津氏不在の稽古場に、緊張やら動揺を隠さない劇団員の面々が眩しい。少し台本を読んでもらうだけで、いかに深津作品を愛しているか、いかにウソなく愛そうとしてるかが、皆々からバシバシ伝わってくる。ある意味今では珍しい(ココで「ウチでは考えられない」などと書くと、後で大事になるコトを僕は既に学んでいる…)ほど純粋な集団の在りよう。心地よい眩暈とともに不純な自分に不安も増すが、そこは見せずに乗り切る。さて、夜の10時まで大阪で稽古をして自宅に戻ろうとすると、手段はただ一つ。自宅から米原まで車でロングドライブして米原駅前に1DAYパーキング。東海道線の快速で梅田まで出るわjけだ。こうしないと帰路がどうにも無理になる。米原で足止めになるわけだ。新幹線でも在来線でも、もっと早く稽古を上げなくてはいけなくなる。もちろん全行程車って手もあるが、流石に高速使わないとどれだけ時間が掛かるか判らない。高速は高速で今度は金が掛かるしね。ちなみに米原までは下道で約1時間20分。昨日は10時少し前に上がって、家に着いたのは2時だった。往復約8時間かけて「正味3時間の稽古」に通うわけで、いやぁ、一人旅好きの演劇人には最高の贅沢ですよぉ~。あ、これ、決して愚痴や嫌味ではないので念のため。悪いけど、僕はそういう人間なのだ。もちろん列車や車の中では、少なくとも部屋に居るより仕事がはかどる。選曲したり、読書や領収書の整理も出来る。それも少し引っ掛けながら…結構「至福に近い」状態なのだ。むろん家族や地元の人たちには「結構大変ですよ~」とか言ってるが、実は次の出張を思いニマニマしていたりする。見舞った友人の笑顔も思い出し「次はもう一本早く出てみるか…」と時刻表を広げたりしているのだ…。…今日は今日で、僕の最新作「僕らの玉手箱」の公演を控えた小学校6年生28人が待っている。これまた今時珍しい仲良しクラスの面々で、学校へ向かう田舎道も含め、とってもノスタルジーを味あわせてくれる仕事。11月7日(土)午前10:40に1回こっきりの上演会。あ、これね、本気で観劇したい人は、見れるように出来ますので、僕に個人的なメールをぜひ。

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2009年10月19日 (月)

我が久遠の加藤和彦

「河童橋…」の東京公演を終え、今回はいわゆる「社会復帰」に丸々1週間かかり、そろそろまとめでお礼ブログを書かなくちゃと思っていた矢先に、これはかなりキツイ訃報だ。耳ざとい人なら(劇団員も怪しいけど…)今回の芝居の客入れの間、ずっと流れていたのが加藤和彦氏のアルバムだったと気付いたはずだ。僕はずっと彼の(確か5曲目)歌声をバックに前説の注意事項や宣伝を喋っていた。「やっぱ何か落ち着くんだよね」とロビーで話してたりしてた。ワイドショーでよく振り返りで流れてる懐かしのフォーク・クルセイダーズのミカバンドの頃の、売れてた頃ではない時代、もっと最近の(とは言え20世紀だけどね…)シャンソンベースだったり、安井かずみとの欧州生活の頃の小品だ。「あの頃、マリーローランサン」なんかは僕の中では最高の逸品で、かつてナビロフトで上演し名古屋市の賞までいただいた「中野エスパーをめぐる冒険~大改訂版」では最初と最後のテーマ曲としてアルバム中の曲を使わせてもらった。歌詞が入った曲をそのまま劇中で流すなんてウチでは普通ありえなく、少なくとも日本語のモノでは加藤和彦さんオンリーだった気がする。今回客入れで(少なくとも不条理と現実の「アイノコ」なホテルのロビーを飾るのは、彼のメロディー以外に思いつかなかった)流していたのは、その3作ほど後のアムバムで、多分、最も売れてない頃ではないかと思われる。

そんなに遠くはないいつか…ミックジャガーもデュランも死ぬだろ? 俺はその日、店を臨時休業にして、丸一日CD聞くんだよ。一人だけで追悼する。一人づつ、一人づつ、お世話になった神様全員を見送るのが、これからの人生だ。それでいい。俺の神様を知らない世代なんかに生まれ変わりたくないのだよ」

…何年か前に東演さんに書いた「大地のカケラ」って戯曲の中、ミュージシャン崩れの地方在住者・千葉のセリフ。なかなかそうもいかなくて、今日ものこのこ大学なんかに出向くわけだ。清志郎の時もそうだった。二日酔いのレッスン場が遠かったなぁ…。余りに安直でありきたりな発想と苦笑いしつつ、どうしても天国のバーで先に逝ったかずみさんと一緒にグダグダ飲んでる和彦氏のイメージが沸いてしまう。やっぱ最後まで我侭なドンファンだったのね。いや、魂だけは少しだけ先回りして、ホテル河童橋のロビーで酔っ払っていたのかも知れないか。合掌はせずに今日一日、唇にハミングを欠かさずに。

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2009年10月 1日 (木)

世代の距離、そしてヴィヨン。

あっという間に10月ですねぇ。今年もあと3ヶ月かぁ…すっかりのご無沙汰です。中津川演劇キャンプは期待以上に楽しかったっす。「柄本明ワークショップ」、「生きている小平次」、「狐の嫁入り」などに感銘多く、特に大会フィナーレを飾った「菊の会」の公演には驚嘆。82歳・竹内菊の「狐の舞」から目が離せない。名声や受賞の噂だけは聞いていたが恥ずかしい事に初の観劇。森山氏のドラムスとのコラボももちろんだが、何より客を楽しませる発想力に脱帽。さすがは和田演出者協会会長のお墨付き。鍛え抜かれた肉体、揺るがない古典芸能の切れ味と笑い、アングラ演劇の生々しさ、小劇場のリアリティー、それら全てを飲み込んだような構成で、観ているものの想像力の息をつかせない様は、まさに和製フィリップ・ジャンティーのよう。でいて本人は「私は演出家としてはまだまだ新人なので」と。これがまた少しも嫌味でない空気で。大会の終了、バラシを終え、帰宅の予定を延ばして打ち上げに参加。真っ先に菊さんをつかまえていろいろお話を聞く。50歳で家元を離れ、いわば「流派に背を向けての」独自の活動が30年。一応80歳で引退を発表したが、和田会長が「ぜひ明治座(文化財でもある地歌舞伎小屋)でも」と引っ張りだしての今回なのだ。失礼ながら引退の理由を聞けば「だって、リサイタルやればいつも満席になっちゃってね、私自身が(その状況に)胡坐をかきそうになっちゃったからね、すぱっとね」との言葉。どこまでかっこよく戦っているのだこのヒトは。ウチのお袋と同い年。何処までも物静かで涼しい表情。いやぁ、あんな風に居られるなら長生きも悪くないかとチラリ。我らが北村透谷の「蓬莱曲」も無事何とか終了。若者とお年寄りから、やたら高評価を聞く。同世代の演劇人はノーコメント、というか観てもいない面々多く、これも最近の演劇状況を反映しているようで興味深い。自己評価は65点かな。ゲネは77点だったが、これもまた一回こっきりの発表ではよくあるケース。個々の役者の肉体・精神状態を演出が完璧にコントロールはできない。できないからこそ芝居なんだと、最近は明るい諦めをしているよ。客演の3名もありがとね。お疲れ様。にしても…ウチはともかく菊の会のフィナーレ公演を観ずに帰った若手・中堅の表現者に対し、心底同情いたします。話題変わって……久しぶりに家に帰ると、9歳の愚息がニマニマしてる。理由を聞けば運動会で自分の赤組が2点差で勝利したらしい。いくら「小学校に入って初めて勝った」とはいえ、「お父さんはお前の年には既に、あんなものはあくまで、あまりに多人数の集団の、個々の戦いの結果であって、自分の喜怒哀楽にはそれほど影響なかったぞ」と思うが口にはせず、むしろその純粋さに少し羨ましさを覚える。数日後、今度はえらく落ち込んでいるのでまたぞろワケを聞くと、近々バスでいく社会見学があり、その道中に皆で歌う歌の募集があり、自分はオレンジレンジの「以心伝心」と「いけない太陽」を応募したがいずれも外されたらしい。きっとバスの中、リーダー気取りで先頭たって歌いたかったのだろうなぁ…。とはいえさ、そこまで落ち込む事かよ、とは言わず「小学校4年には歌詞が大人すぎたのさ」と慰める。「それに少し古いかもね」とは、やはり言わずにおいた。何しろ車に乗ったとき、繰り返しかかるCDを全部覚えるのが彼の趣味だと知っての事だからね…。にしても…いつも教えられるのは、大先輩と子供だよな。特に最近は…。若手の創造者達に「君らは同世代性に依存しすぎてないか? 身近な評価に時間を奪われ過ぎるのも、ある意味勿体無いぜ」などと苦言を言いながら、逆に同世代をあまり信じられず、いろいろ見過ごしてしまっているのは自分の悪いクセではないかとも思う。などと殊勝な事を言いながら……明日は「太宰を読む・ヴィヨンの妻」の小屋入り。週をあければ「河童橋の魔女」東京公演の荷積み、仕込み、ゲネと向かう。ぜひぜひ劇場に足をお運びくださいませ。「世代を超えた」想像力の交流をしようではありませんか(汗)……。

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