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2009年11月の3件の投稿

2009年11月30日 (月)

きっと彼女は笑ってる。

月の、最後の日なってしまった。やっと彼女に関して少し書ける気がしてきた。かつて一緒に芝居を作った吉田泰子さんが、遠くに旅立ってしまった。またもや憎むべき悪玉細胞の仕業らしい。体調悪いとは聞いていたがここまで進行が早いとは…。岐阜市の小ぶりな葬儀場は集まった演劇人で満員御礼。通夜の席上、お父さんの挨拶は実に素直で「これほど多くのヒトに慕われていた娘に驚くと同時に改めて娘を尊敬する」との言葉。泣けたねぇ。彼女には2000年のうちの芝居「サワ氏の仕業Ⅲ」(回文じゃん…後に「螺旋の悪意」と改題…)に客演として参加してもらい、東京、大阪公演にも同行してもらった。明るい表現の引き出しをいくつも持ち、何よりあれほどの透明感と存在感が共存する女優さんには、なかなかお目にかかれない。バリバリのアクションや立ち回りも軽々とこなす彼女の胸に、既に心臓のペースメーカーが埋まっている事を知ったのも、随分昔の話だ。「そりゃはせさん、命がけですよ。役者も恋も」…なんてね。アルコールの器を片手に、からからと笑っていたよね。旅公演の合宿所でさ。とっくの昔に「吹っ切った」ようなカラリとした表現。うじうじしないでドーンと勝負して、スコーンと落ち込んで、しこたま飲んで、翌日ケロっとしていたよね。きっと吉田泰子の魅力でもって死神さんすら取り込んで、一緒に飲んで誤魔化してさ、結構長生きすると思っていたんだけどね…。だって、心底もう一回やる気だったんだから。今だから言うけどさ、あのユニットの件だって、てっきりお前さんがやると思っててさ、出来ないって知ってからもアンタにアテガキした部分もあったんだからね。それを客で観た後で、「やりたかったなぁ」なんて、サラリと言ってくれちゃってさ。悔しいから「じゃあ絶対、も一回やるからね。ひーひー言うような、すんごい役柄書くからね」と約していた。それすらもすんげえ昔かぁ…。祭壇に飾られた遺影がまた、たまんない笑顔の、しかもウエディングっぽい服装。アレを選んだんだよね、ご家族は…。お棺の中のお顔も拝見したよ。穏やかだったけど、ほんの少し悔しそうにも見えてしまった。違うよね。悔しそうに見えるのは、残されたこっちが悔しいからだよね…。悪いけど、泰子さぁ。ホント悪いけど…その内に君で一本書かせてもらうぜ。アンタへの未練を底力にさ。もし供養なんてモノがあるとしたら、それしか出来ないからね。因果な商売なんですよ…もちろん四十九日は待ちますけどね。いや、これまた違うか…四十九日を待たなくてもね、きっと彼女は……

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2009年11月18日 (水)

天高く、我はノートを持ち上げて…

先日、故知の疲れている女性を勇気付けようとして、「…ずっとファンだったしさ…」と言おうとして、その「ファン」を間違えて(というか、どうにも言葉が出なくて)「タイプ」と言ってしまった。「…ずっとタイプだったしさ…」。長い間があって、こちらを見た彼女の目には明らかに警戒の色で「タイプ?」…。何だか急に、それまでの空気が陳腐で下世話なものになってしまった。皆さん、言葉選びには気をつけましょう。さて、ココからが本題……。僕の仕事部屋がアパートのメゾネットタイプの下の階にあることは、どこかで書いたと思うのだが、NTTを含めいろんな回線の大本の本体は上の階にあるわけですね。んで、僕のノートパソコンには無線LANの端末がUSBに刺さっていて、そこから2階へ一旦無線で送っているわけ(どうにも説明が素人臭いなぁ…)。んで、少し前まで快適なネット環境だったのだが、どうも秋になってから送受信に時間が掛かったり、途中で切れたりしてたのね。んで、この無線の部分の環境が、もしや悪化したのかな?…って思った素人の私は、ある日、メールの受信中にノートを2階に向けて持ち上げてみましたとさ。「とさ」って何? そしたらあ~ら不思議不思議。残り数十だったメールが心太のようにスルスルスルと……素人考えが的に当たった時の「その後対処」も、実に素人的でございまして、以来僕は、メールの送受信やネット立ち上げの際には、必ず「天高くノートを差し上げる」という、実に原始的な行為を続けざるを得ないのです。我ながら結構笑えます。これこそが最近の私の「ネット環境」なのであります。先週、4日間の大阪演出修行から帰ってきたら、届いてたメールが864通だった。読む必要があったのが9通だけ。本日からまた出張。今度は1週間の大阪滞在です。急用やメールはぜひ携帯の方に。戻るのは25日。文化庁の来年度の申請は締め切りを過ぎている。列車の中で新作のタイトルが決まるはず。いわゆる綱渡りな段取りですね。きっと帰宅後のメール受信は2000を超えて、その間僕は長くノートパソコンを肩に担いで居る事でしょう。やれやれ。

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2009年11月10日 (火)

かなり久々「本気の神頼み」

割と好きなタイプだからさ、カオスとか偶発とか運命論とかが。寺社仏閣巡りは嫌いじゃないけど、本気で「お願い」するって滅多に無いんですよ。だけど先週の金曜日だけはチラリ頼みましたね、都合が良いのは承知で「演劇の神様」みたいな存在に。何となく西の方角、鈴鹿山脈の夕陽に向かって……。翌土曜日が、一応僕の書き下ろし最新作にあたる「僕らの玉手箱」の発表会となってた6日の金曜日、その日の授業を全て芝居に傾け、午後のゲネプロに向けて「きっかけ稽古」をしていたのは、僕と劇団員と長岡小学校6年生全員の28人。主役の男子が顔色悪いので聞いてみたら、37度9分の熱がある。10日ほど前に家族が新型インフルに掛かっていて、時期的にも微妙な感じ。何とか中止は避けたい学校側からは「とりあえず今日は頑張らせて、夜医者で新型と判明したら代役で行きましょう」という提案。もちろんこれには「NO」を宣告。もし代役を立てるなら午後のゲネはもちろん、今の今から新キャストで稽古し直さないと間にあうわけが無い。「芝居をなめてはいけません」。なるべく穏やかな口調で諭し、ゲネはこのまま進め、もし夜にインフルエンザと判明したら即中止決定、各関係者にその情報を送る…と腹をくくる。なにせ児童28人全員に個性とセリフを書き下ろし、コロスを極力なくした芝居だから、ダブルキャスト的な発想でも逃げられない。でも、でもね、主役の彼の若い命や仲間への感染を乗り越えてまでやるべきモノではないのだよ、演劇は。親の死に目にはあえなくても仕方ない、大人が自分の生命を掛けて立つのも良いだろう。でも、舞台自体が子供の健康を逆手にとってはいけないのだ。全ては夜の「医者の判断」に任せる事を再確認して、いざ、ゲネプロを行う。いい出来なんだよね、こういう時って。もちろん子供達には「決断」の詳しい内容は話してないから、明日の本番を信じてみな目を輝かせている。僕は「これで見納めかもね」と思いながら、ちゃんとダメ出しをして、本番前日の心得も話して解散。次の仕事に向かいつつ、西陽に祈りながら「そうだ。もし明日中止になっても、3月までにどこかで発表させてやろう、完全ボランティアで構わないから」と新たに決意。その殊勝さが良かったのか、夜になって先生から「インフルエンザではありませんでした」との報。翌日は神様にお礼を言う暇もなく、開演の準備。本番は、流石にミスも多く、ゲネの方が数倍いい出来だった事に苦笑いしながらも「舞台の幕がちゃんと開くシアワセ」を初めて実感するはめに。聞けばその主役の少年、インフルエンザではなかったものの、夜は熱が9度を越し、朝には解熱の座薬を使うも熱が引かず、かなりフラフラしながらこなしたらしい。ついつい「インフルか否か」にだけ囚われていたが、周りの大人たちが「良かった良かった」と言ってる中、彼だけは「どこがいいんだよぉ…」と結構キツイ状態で頑張っていたわけだ。そして、もしかしたら結構生死の境の近くで、フラフラしてた可能性もあるわけなのだが……「いやいや、良い声でてたぜ、ユウタ」と、これまた舞台特有の現場主義、幕が開きゃあコッチのモン的な常套句で逃げてきた。コレを機に、彼が役者に目覚めるか、はたまた演劇嫌いになるか…それまた運命論のなれの果て、責任の持てないカオスなのだ。思えばこの芝居のクライマックスは、大好きだった友達(もちろにヒトではなく魚ですが…)の肉を、泣きながら「食料」として食べるシーン。熱で食欲のない彼が、何かを乗り越えて食べている姿には、演出として背筋がソゾッとしたのも事実。これまた偶発のなせる神様の悪戯として記憶にとどめておこうと思う。……本日から4日間、大阪での桃園会稽古のため家を空けます。少し迷いながらも、ネット系を遮断する環境に身を置きますので、急な用事はぜひ携帯に。

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