英断チカテツ

2009年7月21日 (火)

ご無沙汰の言い訳としては…~禁煙ライブ④

会った人が恐る恐る「んで…ちなみにおタバコの方は…」と聞いてくるコトが多くなった。そりゃそうだよね。最前の書き込みで「6月中には禁煙だぜ!」って宣言しておいて、ライブ中継しておきながら、その後、丸3週間の「書き込みなし」。普通なら「さては禁煙に失敗したな? それでかっこ悪くてブログ更新出来ないんだ…」と考えるのが普通の流れ。ま、実際、似たようなコトもあって筆が進まなかったのも半分ぐらい事実だし……。で、またまた結果から言えば…「完全禁煙から10日間経ちました」。これは真実です。7月10日から一本も吸っていません。すごいなぁ…と、自分で思うよ実際。だって30年間一度も「やめよう」と思ったこと無かった人間だからね。それが、極めて気まぐれに始めた「人生初めての禁煙行為」が、取り合えず今のところ続いているわけさ。「ホントに吸ってないんだよね、オレ…」という妙な感慨に毎日襲われている。でも、まあ、聞くトコロによると、もし僕が禁煙に成功したらマジで同じ方法を検討しようとしている人も複数いるらしいから、ちゃんと報告しておこうと思う。それは「禁煙スタートがココまで遅れた言い訳」ですね。1ヶ月かけてゆっくりニコチン依存を減らしていくタイプの「離煙パイプ」(販売元:㈱マジカル)を始めたのが5月の末。いろいろな紆余曲折ありながらも(詳細は当ブログのバックナンバー・禁煙ライブ①~③参照)なんとか6月の22日(小生の49回目の誕生日)をXデイに設定していたが、どうにも都合悪く、6月内に何とか……ってトコまで報告していた。95%カットの「31番パイポ」を1週間以上使い続け、計算ミスから「ストック買いしすぎて余った煙草」が、実際に無くなるのを最終目標にすべく、日々を調整し、一日に吸う本数自体を減らしてきたのだった。そして6月の末日……挫けてしまったのだ。「後2本吸って、眠って、翌日から禁煙!」のはずが……うっかり眠ってしまい、翌日に2本残ってしまったのだ。ココであさっり捨ててしまえば良かったものを……いやいや、何となく嫌な予感はあったのだ。なんかまだ止めれない予感が。2本残ったからと言って、捨てれば止めれるのは十分知っているのだ。どこかで「やれやれ2本残っちまった…」言いながら少しほっとしている自分。コレでは意味が無い。それと…もう一つの理由は実は「31番」と相性が良くなかったのだ。これこそ言い訳に思われるだろうが、微妙なストレスが意外に違うのだ。無意識にニコチンを逃がす穴の部分を指で押さえ、味を調整している自分がいる。これまた意味が無いのだ。早速「30番」(これだと90%カット)に変えて数日様子を見ることにする。以前も相性の研究事例はちゃんとあって、僕の場合「18番」と「24番」が相性悪かった。慌てて前日のパイポに戻して1日過ごし、思い切って次の番号に飛んだら上手く継続できたりしてね。そして…その後(つまり七月に入ってから)意を決して新しく3箱買って、一日の吸う本数を減らしていった。この禁煙法の優れている部分は、「他人が吸っていても吸いたくならないこと」だ。僕は吸っている他者を見て「そのようにしたい」とは思わないのだ。なぜなら「パイポなしでなんか吸いたくない」のである。最後の最後では挫けながらも「30番パイポで吸いたい」より前にコマは戻っていないのだ、一歩もね。実際のXディは、本などで勧めてある「早めの夜に最後の一本を吸って寝る」をあえて無視し、朝起きて3本だけ吸って(つまり午前9時43分という、なんともアンチメモリアルな時間に)思いきって止めてみた。今は幸いにも吸わない状態が続いている。でも、2日に1回は(特に精神的にきつい時と気分が変えたい時)吸いたくなる。でも「狂おしいほど無性に」ってほどではない。一応禁煙するまでのプロセスを「禁煙ライブ」と名乗って特集したが、思えばコレ以降の生活時間全てが禁煙ライブであるわけで、今後の経緯や臨床研究は、通常カテゴリーの中で報告していこうと思う。「ひと月に3回以上は更新する」の公約は今月大丈夫なのか? ネタ的には余りあるんだけどね。やたら仕事が積もってきているし、このブログの筆も重い。これらが、まさに「仕事への集中が禁断症状を呼ぶことへの無意識的な逃避」でないことを祈ろう。禁煙のメリットとデメリットについても少し書こうと思ったけど、ちょっと今、同業者の訃報が入ってきた。本日はコレまで。

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2009年6月25日 (木)

最後のアガキは誰がしてる?…~禁煙ライブ③

正直に結果から書こう。まだ出来てません。そう禁煙。役者急病のアクシデントで始まった伊丹公演を無事に終え、49歳の誕生日もサクサクと過ぎ、本来なら今頃「禁煙して3日目」のはずなのだが……流石に30年の習慣蓄積はなかなか手強いですなぁ…。ああ、もちろん断念はしてませんよ。正確には6月21日(禁煙Xデイ前日)から、ずっとニコチン95%カットの「NO,31」を使い続けている(詳細は①②を参照)。そして、ここが肝心なのだが、今使っている95%カットのパイポで十分満足しているのだ。戻りたくない。もちろんパイポを装着しないで吸うなんて、今では考えも及ばない。つまりこの離煙システムの「1ヶ月で無理なくニコチン依存から遠ざかる」に対しては、実に順調に最後の場所までたどり着いた真面目な生徒なのである。そしてこの「95%カットなモノ」が十分美味いコト。この事実が、逆に最後の一歩を阻んでもいる。今までのプロセスの「成功」が、禁煙と言う最後の現象には「ブレーキ」になっているのだ。僕は今、実に複雑で逆説的な対場に立っているわけである。思えば確かに予感はあった。新しい番号に、つまり前日より3%多くカットされているパイポに、最初の数時間は「物足らなさ」を感じるのだが、午後には全然満足しているコトの連続だった。そして今「最後の31番」が美味いのだ。パイポは洗えば何度でも使用が出来る。ほら「出口」が見つからないでしょ? ニコチンの中毒性から言えば「95%カットで日々が過ごせるなら、既に常習性からは開放されているはず」と言うのだが、いやいや、美味くて吸いたくなる以上、そこには微かながらも薬物的な依存性が残っている気もする。でも…でもね…僕の体質が少しずつ変わってきてるのも確かなコト。そちら側も報告しておこう。当初禁煙設定したXデイを超えて吸っているコトへの、言い訳の一つに「これで終わりと決めて買った煙草が吸いきれてない」ってのがある。もちろん専門家(?)に言わせれば「さっさとゴミ箱に捨てろ」だろうが……まあまあ、もう少し聞いて欲しい。あれはまだ20番台を吸っていた頃、今までの一日の平均喫煙本数と残り日数から計算して「これが最後の煙草購入」とばかりに近くのアピタでカートン買いをしたのだ。「ライターお付けしますね」と言う店員を、余裕の笑みで断り、伊丹の旅公演に持ち込んだ。そして、ちょうど誕生日に終わりのはずが……帰宅後の今もまだ、結構残っているのだ。つまり、知らず知らずのうちに「一日に吸う本数」が激減していたのだ。そもそもが「毎日新しいパイポさえ使うなら、一日何本吸っても良い」というユルユルなルール。吸いたくなったら吸う、の原則を一度も我慢したことはない一ヶ月だった。ゆえに「吸いたくなる」回数自体が減っていることになる。これってちょっと凄くね? 3%減を続けていた時、興味をもった喫煙組の知り合いが「どうせ1日の本数が3%増してるんだろ?」と言っていた。僕もそれはあると思っていたので、コレには素直に驚いた。思うに……①いちいち吸う時にパイポを装着するから「気付いたら火をつけていた」ってコトは無くなる。②さらに、喫煙行為を毎回強く意識(記憶)させられる、わけで、①と②の相乗効果により、本人は「さほど減っていない」と信てたのかもしれない。これらの発言自体を、きっと今までの僕の傍若無人な吸いっぷりを知ってる人は、驚いてくれるだろう。だって「あの僕」が、火をつける前に「今本当に吸いたいかな?」と自問し時々止めてみたり、2~3時間の外出なら煙草を持たずに出かけたり、朝の目覚め後と食後を試しに30分我慢してみたり、などなどを結構楽しんでトライしてるのだ。使用しているパイポは、ニコチンのカットと同時にタールがパイプ内に残る仕掛けもある。パイポを掃除する時、ネチャネチャと指に絡まるこの黒い悪臭の塊を、流石に積極的に肺に入れたいとは思わない。ただまぁ、何にしろ、今後、完全禁煙までには「僅か0,005のニコチンへの依存」か「ただの歴史的習慣依存」かのどちらかに、最後の勝負を挑む時期がやってくる。机上に残された「吸い残し」の煙草は69本。今、全てにナンバーを書いてみた。せっかくの最終段階、貴重な実験記録だからな。いっそ新しいルールでも決めてみようかな…それが結局、ハードルを挙げて、全て水泡と帰すコトになったりして。ははは。…それならそれでもいいか…なんてね。実はそんな自分もまだまだちゃんと居たりしてね。ギリギリまでゼロに近づけていく行為、もしくはそのプロセスを楽しみ、自分を試す喜びと、本当に最後の最後に「きっぱりお別れをする」コトって、きっと全然違うんだろうからな。もしかしたら「この31番パイポ」を今後何年も使い続け、結局肺がんで苦しみながら死んだ劇作家のエピソードが通夜なんかで密やかに語られるかも知れないしね。何にしろ机上に残ったマジックナンバーは取り合えず「69本」。一つの大きな区切りになるだろう。最新の計算式だと28日(日)の夜辺りかな? 遅れても来月に及ぶことはないだろう。

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2009年6月 9日 (火)

既に半減期を超えて~禁煙ライブ②

本日のパイポのナンバーは「19」。既に57%のニコチンカットである。相変わらず「味」はする。そしてそれが「美味い」。1ヶ月で「離煙」をする行程の3分の2に近づこうとしている。毎朝新しいパイポを試みる時「これで味がしなくなったらどうしよう」と思うのだが、今まで一度もそんなことはない。これは結構不思議だ。一日にたった3%という「微減ぶり」がヒトの感覚を麻痺させているのだろうけど、常用のニコチン0,1ミリの数値は既に半減しているわけで、「今なお美味い」のには逆に不安すら覚えるほどだ。煙草の味については結構うるさい方だと思っていた。銘柄の嗅ぎ別けにも自信あったし、自分の愛飲する銘柄に強い愛情を持っていた。つまり煙草を吸うという行為は、微妙にブレンドされたモノを、とても繊細に味わい、デリケートに嗜好するモノだと思っていた。茶葉やワイン、お香にも似た世界だと。ゆえに「はーい、少しずつ減らしますから味は変わらないですよ~」って単純なことにはならないと踏んでいたわけだ。自分が愛していた行為は何だったのだろう?…的な感覚を覚える。これまたこのシステムの思う壺なのか?……さて、これだけは早めに宣言しておきたいのだが、そもそも「禁煙してみようかな」と僕が発想した動機は「健康のため」では決してない。家族や知人にうるさく言われたからでも、世間がどんどん嫌煙化し吸い辛い世の中になったからでもない。少しも必要に駆られた決意ではなく、タイミング的にも前述のようにこの興味深い離煙システムに出会ったからに過ぎない。つまり動機は極めて薄く、強いて言えば……実験みたいなものかな? もしくは自分研究?……ずっと自分には喫煙が「必要」だと信じてきたし「体質にあっている」と思ってきた。複数のヒトから「医者から酒か煙草かどちらか止めろといわれ迷わず酒を残したよ」と聞かされたが、自分は意外と煙草を選ぶかなとも思っていた。劇作家で一生を棒に振ろうと決めてから「ボロボロになって書いて行くのだ」というイメージでやってきた。そのボロボロの意味合いの中に「自分の健康なんか気にしないぜ」とか「バンカラで破天荒な方が似合ってるよね」も、当然含まれていたわけで、飲みながらでしか書けないし、執筆中にどれだけ煙草が増えようが、それは「必然なこと」にしてきた。自分のスタイルだと信じ、変えるのも怖かった。まあ、でも、そうしながらも「本当はそうじゃなくても書けるかも」とか「ボロボロの意味合いが少し違うんだけどな…」ぐらいには思ってきた。でもね、確かに以下のような記憶があるのだ。飲み続けた焼酎の「おかげ」で眠りコケル一瞬前に素敵な発想が降りてきて、それで台本に一筋の光が差した経験の記憶が。進行に行き詰まり熟考し、ふと(無意識に)煙草に火をつけた「おかげ」で、一息吸った瞬間に霧が吹っ飛ぶアイデアに出会った記憶が。それらが確かにあるのだ。でも、それこそが偶然なのかもしれない。僕は焼酎を浴びなくてもいずれその発想に至り、煙草無しで考えていても同じアイデアに出会っていたかもしれないのだ。て、いうか、煙草を吸わずにモノを考えたことがない気がする。実際はちゃんとあるはずなのに。これこそがただ単に習慣的な依存に過ぎないのではないか? まあ、そんな感じだ。その辺のコトを自分的に見極めたくての人体実験なのである。もちろん「吸っていない自分」への関心も大いにあるし、逆にダメなら(煙草なしの発想に本当に自信が持てなかったら)いつでも戻ろうと思う。まあ、こう書きつつも小心者なので、一応「河童橋の魔女」を書き上げてからスタートしたわけだ。購入してから実施まで2ヶ月タイムラグは、ただ誕生日合わせのメモリアル的な発想だけではなく、自劇団の新作執筆の期間に遂行するのは余りに自信が無かったのだ。ゆえに「いまだに美味い」のは少し困った事態なのだが……またまた長くなったので、続きは次週、いよいよ禁煙ライブ報告の最終段階にて。あ、そうそう、執筆時の飲酒まで止めるわけではありませんので念のため。伊丹での差し入れは今までどうりで、はい……。昨晩は野球を始めて1年半、レギュラーと補欠のボーダーに苦しむ9歳の息子と映画版「ルーキーズ」を観る。隣に座る父親としては、キャッチボールをしてる延長のような、シアワセな2時間半。昼ドラとは違い「セックスって何?」と聞かれる恐れも無い。愚息の感想としては「新庄がTV版よりかっこよかった」「最後の挨拶はいらない奴も2~3人いたな」「どう見ても高校生に見えない奴が一人居る」「ニコタマと試合をする相手チームは、いろんな場面ですんげぇ待たされるよね」などなど。ほとんど同感だよ、オレも。本日より「河童橋の魔女」伊丹公演へ向けて稽古再開。先日、長久手町文化の家で観た「相思双愛」が出色だったのに刺激され、もう一度台本をいじってみる気になってきている。

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2009年6月 4日 (木)

「Xディ」へ向け吸いまくり…禁煙ライブ①

実に久々な更新になってしまった。月に最低3回を暗黙のルールにしてきたのだが、ついに5月は果たせなかった。気付けば新作「河童橋の魔女」名古屋公演も無事に終わり、今や唯一の趣味である「NBA観戦」の方も一押しのビラップス率いるナゲッツがレイカーズに破れ、結構好きなマジックのハワードがレブロン王子を粉砕して、残すはファイナルのみ。何とかしてオバマ予想の「4:2でレイカーズ」を覆して欲しいものだ。んでと…名古屋公演には実に数多のご来場、ありがとうございました。リクエスト通りに「蕎麦100%焼酎」や「大麦100%」など、とにかく「米および米麹嫌い」を計っていただいた数々の差し入れ焼酎。ホントにブログやってて良かった、と実感しております。芝居の出来に関しては…巷の評価は予想通り「賛否両論」な感じで、これにも満足。苦笑いの常連がいるかと思えば、「俺、本当は今回のが一番好きなんだよね」なんて控えめに告げる奴もいて(控えめに言う辺りがまさに賛否両論のリアリティーですよね)、ホント、不特定多数を相手に表現するのは難しい。や、むしろ通常のレールをあえて外してみた結果としては、醍醐味ともいえるロビー&打ち上げ会場の雰囲気だった。まだまだ今月の伊丹、10月の下北沢と続く公演なのでネタばれ系は書きませんが、何せ「全然閉じてない話」なので、書き手としては最終のステージまでどんどん「進化=新解釈=書き換え」しながら楽しめそう。役者の労苦や世間の評価はさておき、久々に面白い玩具をもらった感じである。その分、舞台美術や空間演出はオーソドックスを貫く方針で、今まで変形でしか使ってなかった伊丹アイホールに、初めてパネルを立て込む方針。頑張れ大道具チームよ。なんせ中2週間だかんね。と、まあ、そんないつも通りの旅公演の狭間の時期なのだが……個人的には少し趣が違っている。なんと今、生まれて初めての「禁煙トライ期間」なのだ。正確に言えば「禁煙に向けて吸いまくっている期間」。1ヶ月のプログラムの中で今日が14日目…だから概ね折り返し地点ともいえる。そもそも昨年末に、古い友人が見かけないパイプを装着して喫煙しており、それ何?と尋ねると「31本のパイプを番号通りに1日1本使い捨てていくと1月後に禁煙してるんだぜ」との話。で、そいつが実際に止めちゃったから興味が沸いた。3月に大手の薬局で購入。先月の22日からいよいよ実行しているわけなのだ。禁煙ガムやパッチに何の関心も起きなかった僕の触手を動かしたのは「プロセスの間は何本吸ってもかまわない。味もそのまま」という売り文句。つまり禁煙へのストレスが極めて少なく「我慢してやめる時代ではありません」(これもパッケージに書いてある)と言うわけだ。理屈は簡単で、このパイプには特殊技術による精密な穴が空けられていて、毎日確実に「今習慣的に吸っている煙草」のニコチン3%を徐々に減らしていく。「NO、1」が3%減、「NO、2」が6%減、「NO、3」で9%減…って感じだ。んで「NO、31」に至ると95%カット(なぜ93%でないのかは不明…)の煙草でカラダが満足し、この頃には知らず知らず「ニコチン的な依存性」からも脱却しているという理論だ。そんなに上手くいくわけないやん…と根っから天の邪鬼な僕は思ったわけだが、その友人の「何故かホントに味が変わらんないんだよね」に惹かれてしまった。31本入りのキットが12600円。これも微妙な価格設定。ま、でも1日一箱半吸うとしたら、1ヶ月の禁煙で元が取れる計算だよね。加えてこのパイプは消耗品的なフィルターは使ってないから、ちゃんと洗えば何度でも使用可。これも面白い。売り手もなかなか根性が座っている、というか開き直っていて、同封の指南書には「NO、31を何ヶ月も使っている人もいます」とか「2度使いの勧め」(強い煙草の常習者向け。NO、31の後に軽い煙草に換えてNO□□から再スタートさせる。この計算表までついている)とかも明記している。とにかく「ハードルの低さ」が売り物なのだ。もし、いわゆる「間接キッス」を厭わなければ、成功後、丸ごと友人に渡してもOKなはずだが、さすがにそれは記されてなかった。売り上げ伸びないモンな…。さてさて、このように、ある種画期的なコンセプトなわけだが、ココまで来れば一番の関心事は「本当に味は変わらないのか???」に絞られる。かなり文が長くなったので詳細は次回に譲るが、取り合えずこの愛煙家の僕が今日現在「NO,14」で吸っている(一日も挫けず続いている)のは事実だ。結論から言うと「味が変わらないとまでは言わないが、十分に美味い」わけである。ちなみに5月22日から始めたこのトライは、順調に行けば僕の誕生日(6月22日)の前日に終了するはずである。ついでに言うと、このXディは「河童橋の魔女」伊丹公演の最終日でもある。

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