完全な自己ログ

2017年6月22日 (木)

別段、祝う年でもないので…ちょっと待ってみましたとさ(汗)。

1960年生まれですので、実に判りやすいわけです。そう、本日が57回目の誕生日。今これ書いてるのが15時少し前なんだけど、家族はまだ思い出していないみたい。フフフ。これがまたある種の快感でして、うーん自虐的…。カード会社やネットショップ系の外にも、温かいメールをくれた数名の方々、ありがとうございました。もちろんこの文をアップするのは家に帰ってから。ギリギリ今日の日付中を狙います。6月生まれってのが微妙で、年の頭に「今年はいよいよ57歳か」といったん覚悟してるので、てっきりもう57歳だと思って生きていました、つい先日まで…。新作「月読み右近の副業」の大阪公演の集客がヤバいって話になって、そうだココで宣伝しようと思っていたのにさ、ついついパソコンに向かえず、まあ、何とかいつも通りの観客の数が出て、胸を撫でおろしていたんだけど、お礼かねて書こうと思ったら、いかにも誕生日近くて、催促するみたいなのも嫌なので、今日まで書き渋っていました。いろいろあった大阪は、実にあっという間でした。音響の劇団員・松野氏が仕事で大阪初日が来れなくなったので何年かぶりにオペレーターをやったり、なのに、仕込み日が中島陸郎さんの命日だったので小堀さんと深夜まで飲みまして、アフタートークゲストの佃さんと約束通り明け方まで接待麻雀をして、楽日には咲田への苦手なサプライズ演出と、受験生の愚息が劇場へ一人でやって来るのにドギマギして、激動のバラシの後、トラック転がして帰宅…。いやあ疲れました。金曜夜、担当最後のオペで、ラストの1曲を間違えて、ハッピーエンドをホラーにしてしまったのも、懐かしい思い出でございます。気の利いた差し入れを沢山ありがとう。いつもの面々が、いつになく作品談義を熱くしてくれたのも嬉しかった。大好きなコトリ会議の山本さんともお会いできたし、広田ゆうみさんとの読書談義も楽しかった。まあ、書き出すとキリがないのでこの辺りで。約1月を経て最後の東京公演です。ちなみに台本は7月号のテアトロにも掲載されていて、在京の人には「読んでから観るか、観てから読むか」なんて懐かしい宣伝ジャックも可能ですね。もちろん劇場でも販売する予定です。どぞ、よろしく。咲田とばこの劇団見納めも含め、そんなファイナル5ステージは7月28日から30日まで。今回初の下北・駅前劇場にて。名古屋の火田詮子さん、大阪の佃君と、今年はアフタートークの調子がなかなかいいのでこれもご期待です。7月29日(土)の夜、古い友人の大西一郎さんを迎え、咲田と3人でお届けします。んで、また本日ネタに戻りますが…誰が言い始めたのか「自分へのご褒美」とか言って、昼飯ぐらい優雅に行こうと思って、名古屋のレッスン仕事は夜からなのに、かなり早めに家を出たんだけど、ヒトは簡単には変われませんね。買い物ついでに国道沿いの行きつけの複合スーパーに寄ったのが運のつき、デリカもので昼を済ませ、ドトールでこれを書いている次第です。それでも精一杯の抵抗をと思い、普段は見向きもしない500円超えの中華弁当や鰻弁当なんかを眺めてはいたんですが、値引き率の高かった「おにぎり&蕎麦セット」に落ち着きましたね。あ、でも、井村屋の「やわもちアイス」が安かったので、わらび餅仕様を食べました。うーん満足。いい誕生日かも知れない。んで…今は23時46分。とりあえずアップしますね。

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2011年4月12日 (火)

闇夜のカラスにあこがる夜

お久しぶりです。最近こればっかです。ブログもメールも電話すらも。桜満開、散り始めの風情。朗読劇の坂口安吾本番まであと4日。ぜひぜひ長久手に。震災被害の方々、ココロよりお見舞いさせて下さいませ。ここ数日、原因不明の頭痛に悩まされつつ、年度の初め、筆の重さより、意識の低さ、怠惰の風に吹き飛ばされそうなセンチメンタルを相手に、何とかギリギリ生活を営んでいます。若い頃は自分のどうしようもない逃避したがる魂を「崩壊欲」なんて気取ってネーミングして、その実結構イシキは前向きだったけど、あれも違ってたね。若気の至りだったよね。今はそれすら面倒くさいね。そもそも「欲」ってものから遠いのさ。いやホントに遠い。「控えめの美徳」とか「とはいえ内に秘めたるものが」とかじゃあ全然無くて、ただただどうしようもなく欲が無いんです。2年ぐらい前、何の気の迷いからか「来る仕事は全部受けてみよう」と思ってね、試しにケイゾクしてみたら、こげな事になってます。まあ、つまり、それはさ「いつ消えても本当に良いよ」ってコトですよ。「明日目覚めなければ良いのにな」とかね。社会に不満がある訳でもない。神なる存在にもし逢えたらいろいろ尋ねてみたいことはあるけど、まあ、逢えなくてもいいや、って感じだし。もちろん痛いのとか怖いのとかは嫌だけど。某養成所の恩師で最後の最後まで「声優」だった徳丸さんの死去も、随分遅れて知ったのです。大昔、僕たちの東京公演の最中、僕を某有名ホテルに呼び出して、講師に誘ってくれたのだ。初対面の僕に丸一時間、声優における演技の必然性を語っていたですよね。享年の69歳は、僕の親父が他界した年齢だ。先述のこばやしひろしさんに続き、また一人「アンチマニュアル」の昭和の魂が静かに息を引きとった。最近GEOに行くと、ついつい昔のいわゆる名盤なる中古CDを買っている自分に気付く。レンタル流れのリユースものが整備され、僅かなお金で手に入るのだ。ストーンズ、ドアーズ、エアロスミス、ブランドX、ボブデュラン…さすがにトーキングヘッズやイーノやマッチングモールはないけれど、若い頃にレコード屋でジャケットを何度も眺めて結局買えなかったシロモノで僕の時間が埋め尽くされていく。うーん後ろ向きでしょ? デュランもキースもタイラーもやがて死ぬ。拓郎も泉谷も教授陣も…。僕はその日、朝から仕事を放棄して、イキガミたちの供養にCD聞いて呑んだくれる。それだけは決めている。ジムモリスンやレノンや忌野清志郎の時と同じように。それは僕が生きる意味でもあり、申し訳ないことに少しだけ楽しみでもある。さよならだけが人生かもね? それはあんまりだ、なんて言わないでね。そんなこんなで思い出すのは先日の長久手の戯曲セミナー発表会。トリの真川女史にはそんなところでやられたわけです。塾生の作品に嫉妬したのは始めてのコト。まあ、でも先に書かれちゃあしょうがない。こちとら安吾さんの衣を借りて、細々とリベンジを狙う次第。うーん久々に取りとめもなくなってきたのでこの辺で筆を置きましょう。こんな夜はそっとしておいて下さいませ。あ、でも芝居は来てね。きっとね。

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2008年12月20日 (土)

消耗し続ける男達へ。

なんか村上龍の言い草みたいだけど……先日、大学の講義の合間に浜松のヴィレッジ・ヴァンガードで、宮台真司(実は結構共感する部分も多かったりして…)の、対談集を立ち読みしていた。そこで彼曰く「東大生は(自分も含め)すべからく自分の彼女が野獣系の男に奪われるんじゃないかという不安と共に生きている」みたいな記述があって、これまた少し共感してしまったわけだ。思えば男女の関係において、その営みが上手く行くか否かは、結果的に男性側に背負わされている。もちろん野獣系の方々には思いも付かない考えだろうけど。ええい。歯に衣着せていても仕方ない。つまり「立たなかった時」の話よ。大体自分の経験からすると、女性は「私に魅力が無いのね…それとも愛してないの?」ってタイプか、「いいのよ、よくある事だし…全然気にしてないから」のどちらかなんだけど、実際はそのどちらでもない実につまらない(女性にすれば)理由だったりするのだが、どちらにしても「男の所為」には違いなくて、より一層負担は大きくなる。ナイーブ系は困ったことに、この経験がトラウマになって、次の機会はより一層ハードルが高くなるわけだ。悪循環だよね。でもそれも全て「そういう風に出来ている」かも知れなくて、それが全ての地球上の争いごとの根源だったりして……なんて事を「燐光群」の芝居を見ながらボンヤリ考えていた僕は不謹慎な非国民でしょうか? ちょっと長いよ坂手さん…。部分的には「戦争を忘れない会」の啓発的巡回芝居に思えるところも…。あ、そうそう、歯医者は無事に終わって、上の前歯だけは仮歯を入れてもらって結構満足。もしかしたら現実的で表層の世界に生きているのは僕の方かも知れない。今日は今年最後の2つの戯曲塾はしご。両方の発表会ノミネート締め切りが重なり、駆け込み提出の山。未読の作品も溜まっている。加えて長久手の方は恒例のクリスマス&忘年会。プレゼント交換の品が上手く買えるかと、カミサンの機嫌が悪化しないか、がとても心配。

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2008年11月14日 (金)

英断チカテツな夜

それは不意にやってきた。長年意識の奥底にある、とある「想い」というか「習慣」というか「時間配分」に対して、思い切って決別を図ってみたのだ。PCの中にある数年来の綿々としたデータも消去した。まずは「ゴミ箱」に捨てて、その後、少しだけ迷って「ゴミ箱の中を空に」した。やってしまえば、あっという間の出来事だった。昔、クリエーションというバンドが唄っていた「ハッカ煙草吹かしてグルービー、噂の恋にけりをつけた~」ってな気分。確か歌詞の2番だったな。少し肩の荷が楽になった気もするが、この慣れすぎた依存のシステムを失くして日常が平素に保てるか否かは自信が無い。今夜の英断にも、随分と酒の力を借りてしまった。明日からの自分が、ほんの少しでも変わりつつあれば幸せなのだけど…。何のことか判らなくてすいません。でも、少しだけ、ヒトが衝動的に「自分を捨てる」刹那の感情が、判りかけた気もするのです。変わりたいのだ。例え大きくバランスを崩し、かなりの痛手を負う予感がしても、なお。そしてそれは「墓場まで持っていく」覚悟を共にして。まさに「いと、おむら」のアナグラムにも似て。

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