17歳の院内探検~眼の話④
前回の欠点自慢シリーズ「眼の話③」を読んで、(と言っても昨年の話だが…)「気持ちは判るが早く医者に行ったほうが…」と思った人も多いだろう。確かにカッコ良く書きすぎたかもしれない。もともと医者嫌いだし、ただそれの言い訳のような気もする。でもね、どこか昔から「そんなモンじゃないの? たかが一人の人生なんて」という概念があって、その発祥のきっかけが、この17歳の網膜剥離の手術、もしくは入院生活の時期にあったような気が知るのだ。コレはいつかの芝居の、当日渡すパンフレットにも書いたけど、17歳の僕は入院して手術までの(一日一回の検査があるだけの)極めてフリーの1週間を、病院内をくまなく探検する、という方法で持て余す時間のほとんどを費やしていた。もちろん立ち入り禁止のエリアも多かったが、寝巻きに上着という姿は、思ったより何処でもフリーパスになった(まあ、時代もあってのことだけどね…)。んで、巨頭症の女の子や、知的障害の同い年や、黄疸がすごいおばちゃんと話をし、老化で泣いてるお母さんや両足が無いのに庭で明るくバレーボールをしてる男性なんかを眺めていた。何より僕が居た大部屋病室の、いつも看護婦さんにクダ巻いて、窓際でこっそり煙草を吸ってた(古き良き時代…)白内障のおじさんは、僕が手術後に(これが丸2週間ベッドに括り付けられ動けない…眼には包帯がグルグル巻きで僕はラジオとカセットテープのみの「音の世界」だけで生きていた…)やっと包帯が取れた時、病室には居なかった。てっきり退院したのかと思ってたら、別の病棟に移され数日後に亡くなったと聞かされた。そういえば探検の最中に地下で迷い、ふと開けたドアの奥が霊安室で、遺体と2人きりになったこともあった…。まあ、そんなこんなで「生と死のコラージュ」を、若干17歳の時期に、しかも短期間で見すぎたのだと思うのだ。もちろん当時の僕は、本当の絶望なんて経験していなかったし、漠然とした夢も抱いていたし、何より退院後のプランは山積みだった。なのに「所詮は誰もが死へ向かって生きている」的なこの概念は、実にバランスの悪い価値観として、その後の僕の人生に、随所に影を落としていくのだが……。この辺りはまた長くなるので、後日…いやいやカテゴリーを変えて…そうだな…「完全な自己ログ」あたりで新シリーズ展開をしていこうと思う。てなわけで、「眼の話」シリーズはこれで取りあえず終わりです。網膜剥離と正しい付き合いをしながら今後も生きていこうと思います。まあ、でも、もし僕が交通関係の行政の幹部だったら、免許更新の試験項目に、絶対「視野」を入れますけどね、視力だけじゃなくて。だってあいつら誤魔化すの上手いんだから…もちろん、そんな事になったら真っ先に僕の免許が剥奪されるけどね。
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