我が追憶の12月のトラウマ
一つ前の文章を書きながら「なぜ自分はクリスマスに弱いのか」ボンヤリ考えてたんだけど、少し思い当たることがあったので、自分史的、記録的に書いておく。実はハロウィンにも少し弱くて、これは明らかに前にも書いた「月間少女マンガ時代」の影響なんだけど、クリスマスは少し謎だった。敬虔な仏教徒(笑)だし。多分小6か中1だと思われる。どうやらアメリカンポップスに影響を受けているらしいのだ。12月の半ばに図画工作の授業で、細かい切り張りの細密画を書かせる授業があって、書かせるというかブラスチックの板を細かく(多分2ミリ四方ぐらい)切って、直径30センチほどの皿状の工作版に貼り付けて、いわゆる「絵皿」を作るわけなんだけど、これにはまったんだな。それまで集中力が乏しく、飽き性だった僕が、初めて何日も何晩も集中して作った(ウチに持ち帰ってね)。提出期限が過ぎても、先生にちゃんと喋って遅らせてもらって(当時、既に大人の顔を見て生きていた僕としては画期的)。まあ、初めて覚えた「夜更かしの味」ってのも一つにはあるのだろうが、気障(キザ)にいえば「アートに目覚めた微熱少年」の時期だった。作っていたのは「我が人生」みたいなテーマの抽象的なデザインで、遠くに小さな扉があってそこまでの道がグニャグニャに迂回して、そのロードの周りには、行く手を阻む、今思えば中国の通魔鬼(トンモークイ:空中に浮遊する悪意の気の塊のような妖怪?)がいっぱい囲んでる構図だった。先生からもらうプラスチックのプレートは、何色かあるんだけど、級友達が欲しがるビビッドな色には目を向けず、中間色やくすんだ色ばかり選んでいた。多分、何かが降りてきてたんだろうな。んで、夜な夜な取り組んでいた時が12月で、ラジオから流れるアメリカンポップスのメロディーの記憶がシンクロしてるわけだ。僕の音楽史の中では、フォークやロックに完全移行する少し前。まだビリージョエルは「ピアノマン」を歌っていなくて、デュランは活動を休止していた時期。いろいろメロディーは浮かぶのだが、特に鮮明なのはキャプテン&テニールの「ラヴ・ウイル・キープ・アス・トゥゲザー」とかギルバート・オサリバンの「アローンアゲイン」、それにビートルズのホワイトアルバムやCCR。最新曲から当時としても古いアルバムまでごちゃごちゃだが、その時の僕には同類の「歌謡曲ではない新鮮な音楽」だ。でもプログレ系ののマッチング・モールの初期アルバムなんかも覚えてる。ま、とにかく、そんなモノを聞きながら、炬燵の中で、夜な夜な一つ一つピンセットで色の欠片(かけら)を拾いながら、自分のためのアートをしていたあの12月の日々。どうやらこれがクリスマスを無視できない自分に直結しているらしいのだ。あの心地よい孤独感と温かい音楽。直接のクリスマスソングではないのだが、このある種の「トラウマ」によって自分はクリスマスに頭が上がらない。結果、その作品は年を明けて完成し、コンテストには間に合わなかったが担任と美術の先生からは素敵なほめ言葉をもらった。でも、これが未だに「売れなくてもいいや」的な小劇場魂に直結していたら少し悲しい気もしないではない。ヒトってのはやはり不思議だ。気付けばとんでもない些細な過去の風景に今を支配されている。息子はまだ8歳で、家の近くの結婚式場の、夜の間接照明におびえて道を迂回するような「怖がり屋」なのだが、いつか見せようとティム・バートンの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のDVDはとっくの昔に買ってある。
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