ガキの頃、もしくは我が愚息

2009年2月22日 (日)

ポケモンと息子に学ぶ。

それは突然やってきた。間もなく9歳になる息子と、2人で車に乗っていた時だった。ポケモンがウンコをするか否かが話題の柱になっていて、「しないと思う。あいつら人じゃないし」と言い張る息子に、「いやいや、だって、じゃあ、あいつら何も食べないのか?」と聞くと「や、ポケモンセンターにはポケモンフーズとか置いてあるし…」とか言うので、「だったらおかしいだろ。食べて出さないなら、そのまま行ったら、全ポケモンがぽっちゃり系になるじゃないか?」という論理に彼も納得しかけていた時だった。彼が急に「新しい技を発明した。そうだな…レックーザの技にしよう」と言うのだ。ちなみにこれはカードゲームの技の話で、このカードゲームがなかなかどうして結構楽しいモノに出来ている。自分で60枚のデッキ(その試合で使用するカードの束)を構成し、それをちゃんとシャッフルし、ルールに従って上から引いて相手と戦うのだが、お気に入りのポケモンを進化させたり、上級の技を使うためには、バランスよく自分のデッキに「エネルギーカード」や「トレーナーカード」を混ぜておかないと、すぐに負けてしまう。60枚の中に強いポケモンばかりを入れても絶対勝てないし、進化させたいなら、その前のもの(「種ポケモン」と呼ばれる)を、確率を考えて2枚以上忍ばせたりする。どんなに運が悪くても、ある程度戦えるようにして、次のドロー(攻撃の始まりに一枚カードを引く行為)に賭けるわけだ。自分のデッキとは言え、どれをどう引くかはシャッフルの運次第。この辺がゲーム機モノにはない、カードゲーム本来の醍醐味を孕んでいる。試合の最初には、相手と握手をして挨拶をしなくちゃいけないのも粋だが、何より、戦い方に「ポリシー」や「個性」を持って望まないといけないわけで、自分の世代なら大学生になってやっと楽しさが判ってきた、ボード版のRPGに趣にも似ている。これを小学生が平気で楽しんでいるのだから、とても自分の過去をサンプルに、子供に価値観を押し付けらる時代ではない、という話なのだが…ま、これはまた後日として……なにしろこのカードゲームで息子の相手をしていると、決まってこっちの方が楽しくなり「負けてなるものか」と、深夜、子供が眠った後で、自分のデッキバランスを再構成したりするほど……。説明が長くなったが……つまりその「ポケモンカード」には、そにポケモンの出せる技が2つ書いてあって、それで攻撃するわけだ。それの「新しいの技」「オリジナルな技」を自分達で作ろうという、ドライブ中の会話のシリーズが既に前からあったわけですよ。例えば「トルネードダンス」(素敵な踊りで相手の目を回し-20ダメージ)とか「金色のおなら」(相手に匂いで攻撃し-30ダメージ)とかの名作が生まれていた。そしてこの日、息子が発明した技の名前が「ヒトとはどういうモノなのか?」だと言う。さすがにドキリとして真意を聞くと、「あいつらはポケモンだから、人間のことをよく知らないから、突然聞かれて考えてしまう。その隙に『逃げる』も使えるし、相手のエネルギーカードを一枚奪ってもいい、という、スペシャル技」だと言う。……「それはポケモンにも効くだろうけど、ヒトにはもっと効くんじゃないかな…」とつぶやいて、「どういう意味?」との愚息の問いかけに、さすがに「いあや、いいんだ…」としか答えれなかった…。こうして人類は常に新しい価値観の進化を続けていく。今が、今こそが最先端なのだと思う。つまり……SFXで描かれる近未来に、リアリティーなど感じてはいけないのだ。そんなものは誰にも保障されていない。地球環境もそう。恋愛もそう。子育てもそう。今が先っぽなのだ。逆に言えば、だから遠慮は要らない…って理屈にもなるのだけどね。

|